て差せる大小も身に着けようとしなかった。今までどおりの丸腰で、着慣れた羽織だけに満足して、やがて奉行の送り迎えに出た。
 諸公役が通過の時の慣例のように、吉左衛門は長崎奉行の駕籠《かご》の近く挨拶《あいさつ》に行った。旅を急ぐ奉行は乗り物からも降りなかった。本陣の前に駕籠を停《と》めさせてのほんのお小休みであった。料紙を載せた三宝《さんぽう》なぞがそこへ持ち運ばれた。その時、吉左衛門は、駕籠のそばにひざまずいて、言葉も簡単に、
「当宿本陣の吉左衛門でございます。お目通りを願います。」
 と声をかけた。
「おゝ、馬籠の本陣か。」
 奉行の砕けた挨拶だ。
 水野|筑後《ちくご》は二千石の知行《ちぎょう》ということであるが、特にその旅は十万石の格式で、重大な任務を帯びながら遠く西へと通り過ぎた。


 街道は暮れて行った。会所に集まった金兵衛はじめ、その他の宿役人もそれぞれ家の方へ帰って行った。隣宿落合まで荷をつけて行った馬方なぞも、長崎奉行の一行を見送ったあとで、ぽつぽつ馬を引いて戻って来るころだ。
 子供らは街道に集まっていた。夕空に飛びかう蝙蝠《こうもり》の群れを追い回しながら、遊び戯れているのもその子供らだ。山の中のことで、夜鷹《よたか》もなき出す。往来一つ隔てて本陣とむかい合った梅屋の門口には、夜番の軒行燈《のきあんどん》の燈火《あかり》もついた。
 一日の勤めを終わった吉左衛門は、しばらく自分の家の外に出て、山の空気を吸っていた。やがておまんが二人の下女《げじょ》を相手に働いている炉ばたの方へ引き返して行った。
「半蔵は。」
 と吉左衛門はおまんにたずねた。
「今、今、仙十郎さんと二人でここに話していましたよ。あなた、異人の船がまたやって来たというじゃありませんか。半蔵はだれに聞いて来たんですか、オロシャの船だと言う。仙十郎さんはアメリカの船だと言う。オロシャだ、いやアメリカだ、そんなことを言い合って、また二人で屋外《そと》へ出て行きましたよ。」
「長崎あたりのことは、てんで様子がわからない――なにしろ、きょうはおれもくたぶれた。」
 山家らしい風呂《ふろ》と、質素な夕飯とが、この吉左衛門を待っていた。ちょうど、その八月|朔日《ついたち》は吉左衛門が生まれた日にも当たっていた。だれしもその日となるといろいろ思い出すことが多いように、吉左衛門もまた長い駅路の経験
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