方に夜の街道の空をながめた。田の草取りの季節らしい稲妻のひらめきが彼の目に映った。
「半蔵さん、攘夷なんていうことは、君の話によく出る『漢《から》ごころ』ですよ。外国を夷狄《いてき》の国と考えてむやみに排斥するのは、やっぱり唐土《もろこし》から教わったことじゃありませんか。」
「寿平次さんはなかなかえらいことを言う。」
「そりゃ君、今日《こんにち》の外国は昔の夷狄《いてき》の国とは違う。貿易も、交通も、世界の大勢で、やむを得ませんさ。わたしたちはもっとよく考えて、国を開いて行きたい。」
 その時、半蔵はもとの座にかえって、寿平次の前にすわり直した。
「あゝあゝ、変な流行だなあ。」と寿平次は言葉を継いで、やがて笑い出した。「なんぞというと、すぐに攘夷をかつぎ出す。半蔵さん。君のお仲間は今日流行の攘夷をどう思いますかさ。」
「流行なんて、そんな寿平次さんのように軽くは考えませんよ。君だってもこの社会の変動には悩んでいるんでしょう。良い小判はさらって行かれる、物価は高くなる、みんなの生活は苦しくなる――これが開港の結果だとすると、こんな排外熱の起こって来るのは無理もないじゃありませんか。」
 二人《ふたり》が時を忘れて話し込んでいるうちに、いつのまにか夜はふけて行った。酒はとっくにつめたくなり、丼《どんぶり》の中の水に冷やした豆腐も崩《くず》れた。

       五

 平田|篤胤《あつたね》没後の門人らは、しきりに実行を思うころであった。伊那《いな》の谷の方のだれ彼は白河《しらかわ》家を足だまりにして、京都の公卿《くげ》たちの間に遊説《ゆうぜい》を思い立つものがある。すでに出発したものもある。江戸在住の平田|鉄胤《かねたね》その人すら動きはじめたとの消息すらある。
 当時は井伊大老横死のあとをうけて、老中|安藤対馬守《あんどうつしまのかみ》を幕府の中心とする時代である。だれが言い出したとも知れないような流言が伝わって来る。和学講談所(主として有職故実《ゆうそくこじつ》を調査する所)の塙《はなわ》次郎という学者はひそかに安藤対馬の命を奉じて北条《ほうじょう》氏廃帝の旧例を調査しているが、幕府方には尊王攘夷説の根源を断つために京都の主上を幽《ゆう》し奉ろうとする大きな野心がある。こんな信じがたいほどの流言が伝わって来るころだ。当時の外国奉行|堀織部《ほりおりべ》の自殺も多
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