るものの忌日がやって来るような日を迎えて見ると、亡《な》き梅田雲浜《うめだうんぴん》、吉田松陰、頼鴨崖《らいおうがい》なぞの記憶がまた眼前の青葉と共に世人の胸に活《い》き返って来る。半蔵や香蔵は平田篤胤没後の門人として、あの先輩から学び得た心を抱いて、互いに革新潮流の渦《うず》の中へ行こうとこころざしていた。
降りつづける五月の雨は友だちの足をとどめさせたばかりでなく、親しみを増させるなかだちともなった。半蔵には新たに一人《ひとり》の弟子ができて、今は住み込みでここ本陣に来ていることも香蔵をよろこばせた。隣宿落合の稲葉屋《いなばや》の子息《むすこ》、林|勝重《かつしげ》というのがその少年の名だ。学問する機運に促されてか、馬籠本陣へ通《かよ》って来る少年も多くある中で、勝重ほど末頼もしいものを見ない、と友だちに言って見せるのも半蔵だ。時には、勝重は勉強部屋の方から通って来て、半蔵と香蔵とが二人《ふたり》で話しつづけているところへ用をききに顔を出す。短い袴《はかま》、浅黄色《あさぎいろ》の襦袢《じゅばん》の襟《えり》、前髪をとった額越《ひたいご》しにこちらを見る少年らしい目つきの若々しさは、半蔵らにもありし日のことを思い出させずには置かなかった。
「そうかなあ。自分らもあんなだったかなあ。わたしが弁当持ちで、宮川先生の家へ通い初めたのは、ちょうど今の勝重さんの年でしたよ。」
と半蔵は友だちに言って見せた。
そろそろ香蔵は中津川の家の方のことを心配し出した。強風強雨が来たあとの様子が追い追いわかって見ると、荒町《あらまち》には風のために吹きつぶされた家もある。峠の村にも半つぶれの家があり、棟《むね》に打たれて即死した馬さえある。そこいらの畠《はたけ》の麦が残らず倒れたなぞは、風あたりの強い馬籠峠の上にしてもめずらしいことだ。
おまんは店座敷へ来て、
「香蔵さん、お宅の方でも御心配なすっていらっしゃるでしょうが、きょうお帰し申したんじゃ、わたしどもが心配です。吾家《うち》の佐吉に風呂《ふろ》でも焚《た》かせますに、もう一日|御逗留《ごとうりゅう》なすってください。年寄りの言うことをきいてください。」
と言って勧めた。この継母がはいって来ると、半蔵は急にすわり直した。おまんの前では、崩《くず》している膝《ひざ》でもすわり直すのが半蔵の癖のようになっていた。
「ご
前へ
次へ
全237ページ中142ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング