として、その客間に足をとどめて行ったことが、ありありとそこにたどられる。半蔵はそんな隠れたところにある部屋《へや》を友だちにのぞかせて、目まぐるしい「時」の歩みをちょっと振り返って見る気になった。
その時、半蔵は唐紙《からかみ》のそばに立っていた。わざと友だちが上段の間の床に注意するのを待っていた。相州三浦《そうしゅうみうら》、横須賀在、公郷村《くごうむら》の方に住む山上七郎左衛門《やまがみしちろうざえもん》から旅の記念にと贈られた光琳《こうりん》の軸がその暗い壁のところに隠れていたのだ。
「香蔵さん、これがわたしの横須賀|土産《みやげ》ですよ。」
「そう言えば、君の話にはよく横須賀が出る。これを贈ったかたがその御本家なんですね。」
「妻籠《つまご》の本陣じゃ無銘の刀をもらう、わたしの家へはこの掛け物をもらって来ました。まったく、あの旅は忘れられない。あれから吾家《うち》へ帰って来た日は、わたしはもう別の人でしたよ――まあ、自分のつもりじゃ、全く新規な生活を始めましたよ。」
半日でも多く友だちを引き留めたくている半蔵には、その日の雨はやらずの雨と言ってよかった。彼はその足で、継母や妻の仕事部屋となっている仲の間のわきの廊下を通りぬけて、もう一度店座敷の方に友だちの席をつくり直した。
「どれ、香蔵さんに一つわたしのまずい歌をお目にかけますか。」
と言って半蔵が友だちの前に取り出したのは、時事を詠じた歌の草稿だ。まだ若々しい筆で書いて、人にも見せずにしまって置いてあるものだ。
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あめりかのどるを御国《みくに》のしろかねにひとしき品とさだめしや誰《たれ》
しろかねにかけておよばぬどるらるをひとしと思ひし人は誰ぞも
国つ物たかくうるともそのしろのいとやすかるを思ひはからで
百八十《ももやそ》の物のことごとたかくうりてわれを富ますとおもひけるかな
土のごと山と掘りくるどるらるに御国《みくに》のたからかへまく惜しも
どるらるにかふるも悲し神国《かみぐに》の人のいとなみ造れるものを
どるらるの品のさだめは大八島《おおやしま》国中《くぬち》あまねく問ふべかりしを
しろかねにいたくおとれるどるらるを知りてさておく世こそつたなき
国つ物足らずなりなばどるらるは山とつむとも何にかはせむ
[#ここで字下げ終わり]
これらの歌に「どる」とか、「どるらる」とかある
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