乱したくないと言うのが半蔵だ。親戚《しんせき》としての関係はとにかく、旧師から離れて行こうと言い出すのが香蔵だ。
 国学者としての大きな先輩、本居宣長《もとおりのりなが》ののこした仕事はこの半蔵らに一層光って見えるようになって来た。なんと言っても言葉の鍵《かぎ》を握ったことはあの大人《うし》の強味で、それが三十五年にわたる古事記の研究ともなり、健全な国民性を古代に発見する端緒ともなった。儒教という形であらわれて来ている北方シナの道徳、禅宗や道教の形であらわれて来ている南方シナの宗教――それらの異国の借り物をかなぐり捨て、一切の「漢《から》ごころ」をかなぐり捨てて、言挙《ことあ》げということもさらになかった神ながらのいにしえの代に帰れと教えたのが大人《うし》だ。大人から見ると、何の道かの道ということは異国の沙汰《さた》で、いわゆる仁義礼譲孝|悌《てい》忠信などというやかましい名をくさぐさ作り設けて、きびしく人間を縛りつけてしまった人たちのことを、もろこし方では聖人と呼んでいる。それを笑うために出て来た人があの大人だ。大人が古代の探求から見つけて来たものは、「直毘《なおび》の霊《みたま》」の精神で、その言うところを約《つづ》めて見ると、「自然《おのずから》に帰れ」と教えたことになる。より明るい世界への啓示も、古代復帰の夢想も、中世の否定も、人間の解放も、または大人のあの恋愛観も、物のあわれの説も、すべてそこから出発している。伊勢《いせ》の国、飯高郡《いいだかごおり》の民として、天明《てんめい》寛政《かんせい》の年代にこんな人が生きていたということすら、半蔵らの心には一つの驚きである。早く夜明けを告げに生まれて来たような大人は、暗いこの世をあとから歩いて来るものの探るに任せて置いて、新しい世紀のやがてめぐって来る享和《きょうわ》元年の秋ごろにはすでに過去の人であった。半蔵らに言わせると、あの鈴《すず》の屋《や》の翁《おきな》こそ、「近《ちか》つ代《よ》」の人の父とも呼ばるべき人であった。
 香蔵は半蔵に言った。
「今になって、想《おも》い当たる。宮川先生も君、あれで中津川あたりじゃ国学者の牛耳《ぎゅうじ》を執ると言われて来た人ですがね、年をとればとるほど漢学の方へ戻《もど》って行かれるような気がする。先生には、まだまだ『漢《から》ごころ』のぬけ切らないところがあるんですね
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