ものであろうなどと、人のうわさにろくなことはない。水戸藩へはまた秘密な勅旨が下った、その使者が幕府の厳重な探偵《たんてい》を避けるため、行脚僧《あんぎゃそう》に姿を変えてこの東海道を通ったという流言なぞも伝わって来る。それを見て来たことのようにおもしろがって言い立てるものもある。攘夷《じょうい》を意味する横浜襲撃が諸浪士によって企てられているとのうわさも絶えなかった。
 暖かい雨は幾たびか通り過ぎた。冬じゅうどこかへ飛び去っていた白い鴉《からす》は、また横浜海岸に近い玉楠《たまぐす》の樹《き》へ帰って来る。旧暦三月の季節も近づいて来た。寛斎は中津川の商人らをしきりに待ち遠しく思った。例の売り込み商を訪《たず》ねるたびに、貿易諸相場は上値《うわね》をたどっているとのことで、この調子で行けば生糸六十五匁か七十匁につき金一両の相場もあらわれようとの話が出る。江州《ごうしゅう》、甲州、あるいは信州|飯田《いいだ》あたりの生糸商人も追い追い入り込んで来る模様があるから、なかなか油断はならないとの話もある。神奈川在留の外国商人――中にもイギリス人のケウスキイなどは横浜の将来を見込んで、率先して木造建築の商館なりと打ち建てたいとの意気込みでいるとの話もある。
「万屋《よろずや》さんも、だいぶごゆっくりでございますね。」
 と牡丹屋の亭主は寛斎を見に裏二階へ上がって来るたびに言った。
 三月三日の朝はめずらしい大雪が来た。寛斎が廊下に出てはながめるのを楽しみにする椎《しい》の枝なぞは、夜から降り積もる雪に圧《お》されて、今にも折れそうなくらいに見える。牡丹屋では亭主の孫にあたるちいさな女の子のために初節句を祝うと言って、その雪の中で、白酒だ豆煎《まめい》りだと女中までが大騒ぎだ。割子《わりご》弁当に重詰め、客|振舞《ぶるまい》の酒肴《さけさかな》は旅に来ている寛斎の膳《ぜん》にまでついた。
 その日一日、寛斎は椎の枝から溶け落ちる重い音を聞き暮らした。やがてその葉が雪にぬれて、かえって一層の輝きを見せるころには、江戸方面からの人のうわさが桜田門《さくらだもん》外の変事を伝えた。
 刺客およそ十七人、脱藩除籍の願書を藩邸に投げ込んで永《なが》の暇《いとま》を告げたというから、浪人ではあるが、それらの水戸の侍たちが井伊大老の登城を待ち受けて、その首級を挙《あ》げた。この変事は人の口から
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