のとおり、奉行は一言をも発しないで国書だけを受け取って、ともかくも会見の式を終わった。その間|半時《はんとき》ばかり。ペリイは大いに軍容を示して、日本人の高い鼻をへし折ろうとでも考えたものか、脅迫がましい態度がそれからも続きに続いた。全艦隊は小柴沖《こしばおき》から羽田《はねだ》沖まで進み、はるかに江戸の市街を望み見るところまでも乗り入れて、それから退帆《たいはん》のおりに、万一国書を受けつけないなら非常手段に訴えるという言葉を残した。そればかりではない。日本で飽くまで開国を肯《がえん》じないなら、武力に訴えてもその態度を改めさせなければならぬ、日本人はよろしく国法によって防戦するがいい、米国は必ず勝って見せる、ついては二本の白旗を贈る、戦《いくさ》に敗《ま》けて講和を求める時にそれを掲げて来るなら、その時は砲撃を中止するであろうとの言葉を残した。
「わたしはアメリカの船を見ました。二度目にやって来た時は九|艘《そう》も見ました。さよう、二度目の時なぞは三か月もあの沖合いに掛かっていましたよ。そりゃ、あなた、日本の国情がどうあろうと、こっちの言い分が通るまでは動かないというふうに――槓杆《てこ》でも動かない巌《いわ》のような権幕《けんまく》で。」
 これらの七郎左衛門の話は、半蔵にも、寿平次にも、容易ならぬ時代に際会したことを悟らせた。当時の青年として、この不安はまた当然覚悟すべきものであることを思わせた。同時に、この仙郷《せんきょう》のような三浦半島の漁村へも、そうした世界の新しい暗い潮《うしお》が遠慮なく打ち寄せて来ていることを思わせた。
「時に、お話はお話だ。わたしの茶も怪しいものですが、せっかくおいでくだすったのですから、一服立てて進ぜたい。」
 そう言いながら、七郎左衛門はその茶室にある炉の前にすわり直した。そこにある低い天井も、簡素な壁も、静かな窓も、海の方から聞こえて来る濤《なみ》の音も、すべてはこの山上の主人がたましいを落ち着けるためにあるかのように見える。
「なにしろ青山さんたちは、お二人《ふたり》ともまだ若いのがうらやましい。これからの時世はあなたがたを待っていますよ。」
 七郎左衛門は手にした袱紗《ふくさ》で夏目の蓋《ふた》を掃き浄《きよ》めながら言った。匂《にお》いこぼれるような青い挽茶《ひきちゃ》の粉は茶碗《ちゃわん》に移された。湯と水とに
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