とまたおばあさんは言いながら、三つ組の土器《かわらけ》を白木の三宝のまま丁寧に客の前に置いて、それから冷酒《れいしゅ》を勧めた。
「改めて親類のお盃《さかずき》とやりますかな。」
そういう七郎左衛門の愉快げな声を聞きながら、まず年若な寿平次が土器を受けた。続いて半蔵も冷酒を飲みほした。
「でも、不思議な御縁じゃありませんか。」と七郎左衛門はおばあさんの方を見て言った。「わたしが妻籠《つまご》の青山さんのお宅へ一晩泊めていただいた時に、同じ定紋《じょうもん》から昔がわかりましたよ。えゝ、丸《まる》に三《み》つ引《びき》と、※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]《か》に木瓜《もっこう》とでさ。さもなかったら、わたしは知らずに通り過ぎてしまうところでしたし、わざわざお二人で訪《たず》ねて来てくださるなんて、こんなめずらしいことも起こって来やしません。こうしてお盃を取りかわすなんて、なんだか夢のような気もします。」
「そりゃ、お前さん、御先祖さまが引き合わせてくだすったのさ。」
おばあさんは、おばあさんらしいことを言った。
相州三浦の公郷村まで動いたことは、半蔵にとって黒船上陸の地点に近いところまで動いて見たことであった。
その時になると、半蔵は浦賀に近いこの公郷村の旧家に身を置いて、あの追分《おいわけ》の名主《なぬし》文太夫《ぶんだゆう》から見せてもらって来た手紙も、両国十一屋の隠居から聞いた話も、すべてそれを胸にまとめて見ることができた。江戸から踏んで来た松並樹《まつなみき》の続いた砂の多い街道は、三年前|丑年《うしどし》の六月にアメリカのペリイが初めての着船を伝えたころ、早飛脚の織るように往来したところだ。当時|木曾路《きそじ》を通過した尾張《おわり》藩の家中、続いて彦根《ひこね》の家中などがおびただしい同勢で山の上を急いだのも、この海岸一帯の持ち場持ち場を堅めるため、あるいは浦賀の現場へ駆けつけるためであったのだ。
そういう半蔵はここまで旅を一緒にして来た寿平次にたんとお礼を言ってもよかった。もし寿平次の誘ってくれることがなかったら、容易にはこんな機会は得られなかったかもしれない。供の佐吉にも感謝していい。雨の日も風の日も長い道中を一緒にして、影の形に添うように何くれと主人の身をいたわりながら、ここまでやって来たのも佐吉だ。おかげと半蔵は平
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