方へ出る深い森林の間も、よい芝居《しばい》を見たいと思う男や女には、それほど遠い道ではなかったのである。金兵衛もその一人だ。彼は秋の祭りの来るのを待ちかねて、その年の閏《うるう》七月にしばらく村を留守にした。伏見屋もどうしたろう、そう言って吉左衛門などがうわさをしているところへ、豊川《とよかわ》、名古屋、小牧《こまき》、御嶽《おんたけ》、大井《おおい》を経て金兵衛親子が無事に帰って来た。そのおりの土産話《みやげばなし》が芝居好きな土地の人たちをうらやましがらせた。名古屋の若宮の芝居では八代目市川団十郎が一興行を終わったところであったけれども、橘町《たちばなちょう》の方には同じ江戸の役者|三桝《みます》大五郎、関三十郎、大谷広右衛門などの一座がちょうど舞台に上るころであったという。
九月も近づいて来るころには、村の若いものは祭礼狂言のけいこに取りかかった。荒町からは十一人も出て舞台へ通う村の道を造った。かねて金兵衛が秘蔵|子息《むすこ》のために用意した狂言用の大小の刀も役に立つ時が来た。彼は鶴松《つるまつ》ばかりでなく、上の伏見屋の仙十郎《せんじゅうろう》をも舞台に立たせ、日ごろの溜飲《りゅういん》を下げようとした。好ましい鬘《かずら》を子にあてがうためには、一|分《ぶ》二|朱《しゅ》ぐらいの金は惜しいとは思わなかった。
狂言番組。式三番叟《しきさんばそう》。碁盤太平記《ごばんたいへいき》。白石噺《しらいしばなし》三の切り。小倉色紙《おぐらしきし》。最後に戻《もど》り籠《かご》。このうち式三番叟と小倉色紙に出る役と、その二役は仙十郎が引きうけ、戻り籠に出る難波治郎作《なにわじろさく》の役は鶴松がすることになった。金兵衛がはじめて稽古場《けいこば》へ見物に出かけるころには、ともかくも村の若いものでこれだけの番組を作るだけの役者がそろった。
その年の祭りの季節には、馬籠以外の村々でもめずらしいにぎわいを呈した。各村はほとんど競争の形で、神輿《みこし》を引き出そうとしていた。馬籠でさかんにやると言えば、山口でも、湯舟沢でも負けてはいないというふうで。中津川での祭礼狂言は馬籠よりも一月ほど早く催されて、そのおりは本陣のおまんも仙十郎と同行し、金兵衛はまた吉左衛門とそろって押しかけて行って来た。目にあまる街道一切の塵埃《ほこり》ッぽいことも、このにぎやかな祭りの気分に
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