。
思いもよらない収入のある話と私が言ったのは、この大量生産の結果で、各著作者の所得をなるべく平均にするために、一割二分の約束の印税の中から社預かりの分を差し引いても、およそ二万円あまりの金が私の手にはいるはずであった。細い筆を力に四人の子供らを養って来た私に取って、今までそんなにまとまって持ってみたこともない金である。
まだ私は受け取りもしないうちから、その金のことを考えるようになった。私たちの家では人を頼んで検印を押すだけに十日もかかった。今度の出版の計画が次第に実現されて行くことを私の子供らもよく知っていた。しかしそんなまとまった金がふところにはいるということを、私は次郎にも末子にも知らせずに置いた。
私は、「財は盗みである」というあの古い言葉を思い出しながら、庭にむいた自分の部屋《へや》の障子に近く行った。四月も半ばを過ぎたころで、狭い庭へも春が来ていた。
私は自分で自分に尋ねてみた。
「これは盗みだろうか。」
それには私は、否《いな》と答えたかった。過ぐる三十年が二度と私の生涯《しょうがい》に来ないように、あの叢書《そうしょ》に入れるはずの私の著作も二つとは私にない
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