愛に對する孤獨な人の心も書きつけてある。
[#天から3字下げ]『あさがほや晝は鎖おろす門の垣』
 この孤獨と、沈默と修道者のやうな苦しみとは、何を芭蕉の生涯に齎したらう。其角が『猿簑』の序文に書いたやうな俳諧にたましひを入れるといふ幻術は、あるひはそこから生れて來たのかも知れない。芭蕉の藝術が、印象派風な蕪村の藝術とは違つて、soul の藝術とも呼んで見たいのは矢張そこから來て居るのかも知れない。しかし芭蕉が五十一歳ぐらゐで此の世を去つたといふことと、この『閉關の説』にも出て居るやうな獨身獨居で形骸を苦しめたといふことと、その間には深い關係のないものだらうか。
[#天から3字下げ]『數らぬ身とな思ひそ玉祭』
 私はあの句の心をあはれむ。

 芭蕉の散文には何とも言つて見やうのない美しいリズムが流れて居る。曾て私は長谷川二葉亭氏が文品の最も高いものとして芭蕉の散文を擧げたのをある雜誌で讀んだ時に、うれしく思つたことを覺えてゐる。

 全く思ひがけなかつたのは、私が巴里に居る頃、※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌに芭蕉を比較した一節をカミイユ・モウクレエルの著述の中に見つけたことであつた。それを見つけた時に一部の佛蘭西人の中には芭蕉の名が傳へられて居ることを知つた、尤もあのカミイユ・モウクレエルといふやうな人が、どうして芭蕉を知つたかといふことは、一寸私には想像がつかない。

『笈の小文』、『奧の細道』などの旅行記が何度繰返して讀んでも飽きないことは今更こゝに言ふまでもないが、芭蕉が去來の落柿舍で書いたといふ『嵯峨日記』に私は特別の興味を覺える。芭蕉の日常生活の消息があの簡淨な日記の中によく窺はれるやうな氣がする。
 あの中に、『獨り住むほど面白きはなし』などと言ひながら、羽紅夫婦をとめて五人で一張の蚊屋に寢るほど人懷こい芭蕉が居る。一つの蚊屋に五人では眠られなくて、皆夜半過から起きて、菓子を食ひながら曉近くまで話したといふことなぞが書いてある。その前の年に芭蕉が凡兆の家で泊つた時は、二疊の蚊屋に四ヶ國の人が寢て、思ふことが四つで、夢もまた四種と書いたと言出して、皆を笑はせたといふことなぞも出て居る。それからまたあの日記の中には百日程行脚を共にした杜國の死を夢に言出して、啜泣きして眼が覺めたといふ Passionate な芭蕉の性質もあらはれてゐる。
[#天
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング