三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷《ひど》く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部《そと》に雪がこひのして有るのとで、何となく家《うち》の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々《とし/″\》の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女《をとこをんな》を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤《おもかげ》に描かれて、言ふに言はれぬ可懐《なつか》しさを添へるのであつた。
其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十|余《あまり》の男が入口のところに顕《あらは》れた。
『地親《ぢやうや》さんでやすよ。』
と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。
(三)
地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相《ぶあいそ》な、極《ご》く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈《ゑしやく》した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯《か》ういふ性質《たち》の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由《わけ》も無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備《したく》に多忙《いそが》しい人々の光景《ありさま》を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫《とりいれ》に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。斯《こ》の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年《ひとゝせ》の労働の報酬《むくい》なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升|桝《ます》を投げて置いて、軈《やが》てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外《そと》から入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳《いつゝ》に成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々《なほ/\》身を慄《ふる》はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
と細君は声を掛けた。お末は啜《すゝ》り上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手が冷《つめた》い――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵《おこた》へあたれ。』
斯《か》う言つて、凍つた手を握〆《にぎりしめ》ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
其時は地主も炉辺《ろばた》を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅《はがひ》のやうに掻合せ、半ば顔を埋《うづ》め、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
『奈何《どう》でござんすなあ、籾《もみ》のこしらへ具合は。』
と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。軈《やが》て、白い手を出して籾を抄《すく》つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上《てのひら》のをも眺《なが》め乍《なが》ら、
『空穀《しひな》が有るねえ。』
と冷酷《ひやゝか》な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵|造《こしら》へて掛けて見やせう。』
六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作は箕《み》の中へ籾を抄入《すくひい》れて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫《な》で量《はか》つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。尤《もつと》も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁《もどか》しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可《いけない》。』と自分の手に持つ箕《み》を弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山《どつしり》入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
と音作は俵蓋《さんだはら》を掩《おほ》ひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤《そろばん》を置いて見るらしい。何時《いつ》の間にか音作の弟が大きな秤《はかり》を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅《まつか》に成る。地主は衡《はかりざを》の平均《たひら》になつたのを見澄まして、錘《おもり》の糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作は覗《のぞ》き込んで、『むゝ、出放題《ではうでえ》あるは―
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