も悪いのかしら。』と斯う銀之助は自分で自分に言つて見た。やゝしばらく三人は無言の儘で相対して居た。『今日は僕は是で失敬する。』と銀之助が言出した時は、丑松も我に帰つて、『まあ、いゝぢやないか』を繰返したのである。
『いや、復《ま》た来る。』
 銀之助は出て行つて了つた。

       (四)

『只今《たゞいま》猪子といふ方の御話が出ましたが、』と高柳は巻煙草の灰を落し乍ら言つた。『あの、何ですか、瀬川さんは彼《あ》の方と御懇意でいらつしやるんですか。』
『いゝえ。』と丑松はすこし言淀《いひよど》んで、『別に、懇意でも有ません。』
『では、何か御関係が御有なさるんですか。』
『何も関係は有ません。』
『左様《さやう》ですか――』
『だつて関係の有やうが無いぢやありませんか、懇意でも何でも無い人に。』
『左様《さう》仰れば、まあ、そんなものですけれど。はゝゝゝゝ。彼の方は市村君と御一緒のやうですから、奈何《どう》いふ御縁故か、もし貴方が御存じならば伺つて見たいと思ひまして。』
『知りません、私は。』
『市村といふ弁護士も、あれでなか/\食へない男なんです。彼様《あん》な立派なことを言つて居ましても、畢竟《つまり》猪子といふ人を抱きこんで、道具に使用《つか》ふといふ腹に相違ないんです。彼の男が高尚らしいやうなことを言ふかと思ふと、私は噴飯《ふきだ》したくなる。そりやあもう、政事屋なんてものは皆な穢《きたな》い商売人ですからなあ――まあ、其道のもので無ければ、可厭《いや》な内幕も克《よ》く解りますまいけれど。』
 斯う言つて、高柳は嘆息して、
『私とても、斯うして何時まで政界に泳いで居る積りは無いのです。一日も早く足を洗ひたいといふ考へでは有るのです。如何《いかん》せん、素養は無し、貴方等《あなたがた》のやうに規則的な教育を享《う》けたでは無し、それで此の生存競争の社会《よのなか》に立たうといふのですから、勢ひ常道を踏んでは居られなくなる。あるひは、貴方等の目から御覧に成つたらば、吾儕《わたしども》の事業《しごと》は華麗《はで》でせう。成程《なるほど》、表面《うはべ》は華麗です。しかし、これほど表面が華麗で、裏面《うら》の悲惨な生涯《しやうがい》は他に有ませうか。あゝ、非常な財産が有つて、道楽に政事でもやつて見ようといふ人は格別、吾儕のやうに政事熱に浮かされて、青年時代から其方へ飛込んで了つたものは、今となつて見ると最早《もう》奈何することも出来ません。第一、今日の政事家で政論に衣食するものが幾人《いくたり》ありませう。実際|吾儕《わたしども》の内幕は御話にならない。まあ、斯様《こん》なことを申上げたら、嘘のやうだと思召すかも知れませんが、正直な御話が――代議士にでもして頂くより外《ほか》に、さしあたり吾儕の食ふ道は無いのです。はゝゝゝゝ。何と申したつて、事実は事実ですから情ない。もし私が今度の選挙に失敗すれば、最早につちもさつちもいかなくなる。どうしても此際《こゝ》のところでは出るやうにして頂かなければならない。どうしても貴方に助けて頂かなければならない。それには先づ貴方に御縋《おすが》り申して、家内のことを世間の人に御話下さらないやうに。そのかはり、私も亦《また》、貴方のことを――それ、そこは御相談で、御互様に言はないといふやうなことに――何卒《どうか》、まあ、私を救ふと思召《おぼしめ》して、是話《このはなし》を聞いて頂きたいのです。瀬川さん、是は私が一生の御願ひです。』
 急に高柳は白い毛布を離れて、畳の上へ手を突いた。丁度|哀憐《あはれみ》をもとめる犬のやうに、丑松の前に平身低頭したのである。
 丑松はすこし蒼《あをざ》めて、
『どうも左様《さう》貴方のやうに、独りで物を断《き》めて了《しま》つては――』
『いや、是非とも私を助けると思召して。』
『まあ、私の言ふことも聞いて下さい。どうも貴方の御話は私に合点《がてん》が行きません。だつて、左様《さう》ぢや有ますまいか。なにも貴方等《あなたがた》のことを私が世間の人に話す必要も無いぢや有ませんか。全く、私は貴方等と何の関係も無い人間なんですから。』
『でも御座《ござい》ませうが――』
『いえ、其では困ります。何も私は貴方等を御助け申すやうなことは無し、私は亦《また》、貴方等から助けて頂くやうなことも無いのですから。』
『では?』
『ではとは?』
『畢竟《つまり》そんなら奈何して下さるといふ御考へなんですか。』
『どうするも斯《か》うするも無いぢや有ませんか。貴方と私とは全く無関係――はゝゝゝゝ、御話は其丈《それだけ》です。』
『無関係と仰ると?』
『是迄《これまで》だつて、私は貴方のことに就いて、何《なんに》も世間の人に話した覚は無し、是から将来《さき》だつても矢張《やはり
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