跡へ行つても、大抵は桑畠《くはばたけ》。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄|踏堪《ふみこた》へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものは無い――実は我輩も其一人だがね。はゝゝゝゝ。』
 と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差し乍ら、
『一つ交換といふことに願ひませうか。』
『まあ、御酌《おしやく》しませう。』と丑松は徳利を持添へて勧めた。
『それは不可《いかん》。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君は斯の方は遣《や》らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ。』
『なに、私のは三盃上戸《さんばいじやうご》といふ奴なんです。』
『兎《と》に角《かく》、斯盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様《こん》なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様《さやう》さ、小学教員の資格が出来てから足掛十五年に成るがね、其間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君等に笑はれるかも知れないが、終《しまひ》には教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分乍ら感覚が無くなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆な斯ういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴《はおりはかま》で、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、左様《さう》ぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少《わづか》の月給で、長い時間を働いて、克《よ》くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君等の目から見たら、今|茲《こゝ》で我輩が退職するのは智慧《ちゑ》の無い話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月|踏堪《ふみこた》へさへすれば、仮令《たとへ》僅少《わづか》でも恩給の下《さが》る位は承知して居るさ。承知して居ながら、其が我輩には出来ないから情ない。是から以後《さき》我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員を休《や》めて了《しま》つたら、奈何《どう》して活計《くらし》が立つ、銀行へ
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