れば格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地《いくぢ》が無さ過ぎるからねえ』と言つたことを思出した。それから彼《あ》の細君が一緒に東京へ帰つて呉れと言出した時に、先輩は叱つたり※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《はげま》したりして、丁度|生木《なまき》を割《さ》くやうに送り返したことを思出した。彼是《かれこれ》を思合せて考へると――確かに先輩は人の知らない覚期《かくご》を懐にして、斯《こ》の飯山へ来たらしいのである。
 斯ういふことゝ知つたら、もうすこし早く自分が同じ新平民の一人であると打明けて話したものを。あるひは其を為たら、自分の心情《こゝろもち》が先輩の胸にも深く通じたらうものを。
 後悔は何の益《やく》にも立たなかつた。丑松は恥ぢたり悲んだりした。噫《あゝ》、数時間前には弁護士と一緒に談《はな》し乍ら扇屋を出た蓮太郎、今は戸板に載せられて其同じ門を潜るのである。不取敢《とりあへず》、東京に居る細君のところへ、と丑松は引受けて、電報を打つ為に郵便局の方へ出掛けることにした。夜は深かつた。往来を通る人の影も無かつた。是非打たう。局員が寝て居たら、叩《たゝ》き起しても打たう。それにしても斯《この》電報を受取る時の細君の心地《こゝろもち》は。と想像して、さあ何と文句を書いてやつて可《いゝ》か解らない位であつた。暗く寂《さみ》しい四辻の角のところへ出ると、頻に遠くの方で犬の吠《ほえ》る声が聞える。其時はもう自分で自分を制《おさ》へることが出来なかつた。堪へ難い悲傷《かなしみ》の涙は一時に流れて来た。丑松は声を放つて、歩き乍ら慟哭《どうこく》した。

       (四)

 涙は反《かへ》つて枯れ萎《しを》れた丑松の胸を湿《うるほ》した。電報を打つて帰る道すがら、丑松は蓮太郎の精神を思ひやつて、其を自分の身に引比べて見た。流石《さすが》に先輩の生涯《しやうがい》は男らしい生涯であつた。新平民らしい生涯であつた。有の儘《まゝ》に素性を公言して歩いても、それで人にも用ゐられ、万《よろづ》許されて居た。『我は穢多を恥とせず。』――何といふまあ壮《さか》んな思想《かんがへ》だらう。其に比べると自分の今の生涯は――
 其時に成つて、始めて丑松も気がついたのである。自分は其を隠蔽《かく》さう隠蔽さうとして、持つて生れた自然の性質を銷磨《すりへら
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