やうに見られたら、奈何しよう。書いたものを愛読してさへ、既に怪しいと思はれて居るではないか。まして、うつかり尋ねて行つたりなんかして――もしや――あゝ、待て、待て、日の暮れる迄待て。暗くなつてから、人知れず宿屋へ逢ひに行かう。斯う用心深く考へた。
『それは左様と、お志保さんは奈何《どう》したらう。』と其人の身の上を気遣《きづか》ひ乍ら、丑松は二階へ上つて行つた。始めて是寺へ引越して来た当時のことは、不図《ふと》、胸に浮ぶ。見れば何もかも変らずにある。古びた火鉢も、粗末な懸物も、机も、本箱も。其に比べると人の境涯《きやうがい》の頼み難いことは。丑松はあの鷹匠《たかしやう》町の下宿から放逐された不幸な大日向を思出した。丁度斯の蓮華寺から帰つて行つた時は、提灯《ちやうちん》の光に宵闇の道を照し乍ら、一挺の籠が舁《かつ》がれて出るところであつたことを思出した。附添の大男を思出した。門口で『御機嫌よう』と言つた主婦を思出した。罵《のゝし》つたり騒いだりした下宿の人々を思出した。終《しまひ》にはあの『ざまあ見やがれ』の一言を思出すと、慄然《ぞつ》とする冷《つめた》い震動《みぶるひ》が頸窩《ぼんのくぼ》から背骨の髄へかけて流れ下るやうに感ぜられる。今は他事《ひとごと》とも思はれない。噫《あゝ》、丁度それは自分の運命だ。何故、新平民ばかり其様《そんな》に卑《いやし》められたり辱《はづかし》められたりするのであらう。何故、新平民ばかり普通の人間の仲間入が出来ないのであらう。何故、新平民ばかり斯の社会に生きながらへる権利が無いのであらう――人生は無慈悲な、残酷なものだ。
斯う考へて、部屋の内を歩いて居ると、唐紙の開く音がした。其時奥様が入つて来た。
(五)
いかにも落胆《がつかり》したやうな様子し乍ら、奥様は丑松の前に座《すわ》つた。『斯様《こん》なことになりやしないか、と思つて私も心配して居たんです。』と前置をして、さて奥様は昨宵《ゆうべ》の出来事を丑松に話した。聞いて見ると、お志保は郵便を出すと言つて、日暮頃に門を出たつきり、もう帰つて来ないとのこと。箪笥《たんす》の上に載せて置いて行つた手紙は奥様へ宛てたもので――それは真心籠めて話をするやうに書いてあつた、ところ/″\涙に染《にじ》んで読めない文字すらもあつたとのこと。其中には、自分一人の為に種々《さま/″
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