つて、『是《これ》がもし事実だと仮定すれば――』
『事実? 到底《たうてい》其様なことは有得べからざる事実だ。』と銀之助は聞入れなかつた。『何故と言つて見給へ。学校の職員は大抵|出処《でどこ》が極《きま》つて居る。君等のやうに講習を済まして来た人か、勝野君のやうに検定試験から入つて来た人か、または吾儕《われ/\》のやうに師範出か――是より外には無い。若《も》し吾儕の中に其様《そん》な人が有るとすれば、師範校時代にもう知れて了ふね。卒業する迄も其が知れずに居るなんてことは、寄宿舎生活が許さないさ。検定試験を受けるやうな人は、いづれ長く学校に関係した連中だから、是も知れずに居る筈が無し、君等の方はまた猶更《なほさら》だらう。それ見給へ。今になつて、突然其様なことを言触らすといふは、すこし可笑《をか》しいぢやないか。』
『だから――』と準教員は言葉に力を入れて、『僕だつても事実だと言つた訳では無いサ。若《もし》事実だと仮定すれば、と言つたんサ。』
『若《もし》かね。はゝゝゝゝ。君の言ふ若は仮定する必要の無い若だ。』
『左様《さう》言へばまあ其迄だが、しかし万一|其様《そん》なことが有るとすれば、奈何《どう》いふ結果に成つて行くものだらう――僕は考へたばかりでも恐しいやうな気がする。』
銀之助は答へなかつた。二人の客はもうそれぎり斯様《こん》な話を為なかつた。
軈《やが》て二人が言葉を残して出て行かうとした時は、丑松は喪心した人のやうで、其顔色は白い毛布に映つて、一層蒼ざめて見えたのである。『あゝ、瀬川君は未だ快《よ》くないんだらう。』斯《か》う銀之助は自分で自分に言ひ乍ら、準教員と一緒に楼梯《はしごだん》を下りて行つた。
暫時《しばらく》丑松は茫然として部屋の内を眺め廻して居たが、急に寝床を片付けて、着物を着更へて見た。不図《ふと》思ひついたやうに、押入の隅のところに隠して置いた書物を取出した。それはいづれも蓮太郎を思出させるもので、彼の先輩が心血と精力とを注ぎ尽したといふ『現代の思潮と下層社会』、小冊子には『平凡なる人』、『労働』、『貧しきものゝ慰め』、それから『懴悔録』なぞ。丑松は一々|内部《なか》を好く改めて見て、蔵書の印がはりに捺《お》して置いた自分の認印《みとめ》を消して了つた。ほかに、床の間に置並べた語学の参考書の中から、五六冊不要なのを抜取つて、塵埃《
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