『だつて、瀬川さんと言つて尋ねて来なすつたもの――小学校へ御出なさる瀬川さんと言つて。』
『妙なことが有ればあるもんだなあ。高柳――高柳利三郎――彼の男が僕のところへ――何の用が有つて来たんだらう。兎《と》も角《かく》も逢つて見るか。それぢやあ、御上りなさいツて、左様《さう》言つて下さい。』
『それはさうと、御飯は奈何《どう》しやせう。』
『御飯?』
『あれ、貴方《あんた》は起きなすつたばかりぢやごはせんか。階下《した》で食べなすつたら? 御味噌汁《おみおつけ》も温めてありやすにサ。』
『廃《よ》さう。今朝は食べたく無い。それよりは客を下の座敷へ通して、一寸待たして置いて下さい――今、直に斯部屋を片付けるから。』
 袈裟治は下りて行つた。急に丑松は部屋の内を眺め廻した。着物を着更へるやら、寝道具を片付けるやら。そこいらに散乱《ちらか》つたものは皆な押入の内へ。床の間に置並べた書籍《ほん》の中には、蓮太郎のものも有る。手捷《てばしこ》く其を机の下へ押込んで見たが、また取出して、押入の内の暗い隅の方へ隠蔽《かく》すやうにした。今は斯《こ》の部屋の内にあの先輩の書いたものは一冊も出て居ない。斯う考へて、すこし安心して、さて顔を洗ふつもりで、急いで楼梯《はしごだん》を下りた。それにしても何の用事があつて、彼様《あん》な男が尋ねて来たらう。途中で一緒に成つてすら言葉も掛けず、見れば成る可く是方《こちら》を避《よ》けようとした人。其人がわざ/\やつて来るとは――丑松は客を自分の部屋へ通さない前から、疑心《うたがひ》と恐怖《おそれ》とで慄《ふる》へたのである。

       (二)

『始めまして――私は高柳利三郎です。かねて御名前は承つて居りましたが、つい未《ま》だ御尋《おたづ》ねするやうな機会も無かつたものですから。』
『好く御入来《おいで》下さいました。さあ、何卒《どうか》まあ是方《こちら》へ。』
 斯《か》ういふ挨拶を蔵裏の下座敷で取交して、やがて丑松は二階の部屋の方へ客を導いて行つた。
 突然な斯の来客の底意の程も図りかね、相対《さしむかひ》に座《すわ》る前から、もう何となく気不味《きまづ》かつた。丑松はすこしも油断することが出来なかつた。とは言ふものゝ、何気ない様子を装《つくろ》つて、自分は座蒲団を敷いて座り、客には白い毛布を四つ畳みにして薦《すゝ》めた。
『まあ
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