ころさ。吾儕《われ/\》のやうなものを斯様《こんな》に待遇するところは他の国には無いね。』と言ひさして、丑松の顔を眺《なが》め、細君の顔を眺め、それから旅客《たびびと》の群をも眺め廻し乍ら、『ねえ瀬川君、僕も御承知の通りな人間でせう。他の場合とは違つて選挙ですから、実は僕なぞの出る幕では無いと思つたのです。万一、選挙人の感情を害するやうなことが有つては、反《かへ》つて藪蛇《やぶへび》だ。左様《さう》思ふから、まあ演説は見合せにする考へだつたのです。ところが信州といふところは変つた国柄で、僕のやうなものに是非|談話《はなし》をして呉れなんて――はあ、今夜は小諸で、市村君と一緒に演説会へ出ることに。』と言つて、思出したやうに笑つて、『この上田で僕等が談話をした時には七百人から集りました。その聴衆が実に真面目に好く聞いて呉れましたよ。長野に居た新聞記者の言草では無いが、「信州ほど演説の稽古をするに好い処はない、」――全く其通りです。智識の慾に富んで居るのは、斯の山国の人の特色でせうね。これが他の国であつて見たまへ、まあ僕等のやうなものを相手にして呉れる人はありやしません。それが信州へ来れば「先生」ですからねえ。はゝゝゝゝ。』
 細君は苦笑ひをしながら聞いて居た。
 軈て、切符を売出した。人々はぞろ/\動き出した。丁度そこへ弁護士、肥大な体躯《からだ》を動《ゆす》り乍ら、満面に笑《ゑみ》を含んで馳け付けて、挨拶する間も無く蓮太郎夫婦と一緒に埒《らち》の内へと急いだ。丑松も、入場切符を握つて、随いて入つた。
 四番の上りは二十分も後れたので、それを待つ旅客は『プラットホオム』の上に群《むらが》つた。細君は大時計の下に腰掛けて茫然《ばうぜん》と眺め沈んで居る、弁護士は人々の間をあちこちと歩いて居る、丑松は蓮太郎の傍を離れないで、斯うして別れる最後の時までも自分の真情を通じたいが胸中に満ち/\て居た。どうかすると、丑松は自分の日和下駄の歯で、乾いた土の上に何か画《か》き初める。蓮太郎は柱に倚凭《よりかゝ》り乍ら、何の文字とも象徴《しるし》とも解らないやうなものが土の上に画かれるのを眺め入つて居た。
『大分汽車は後れましたね。』
 といふ蓮太郎の言葉に気がついて、丑松は下駄の歯の痕《あと》を掻消して了《しま》つた。すこし離れて斯《こ》の光景《ありさま》を眺めて居た中学生もあつたが、
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