趣旨に基き、金牌を授与し、之を表彰す』とも書いてあつた。
『実に今回のことは校長先生の御名誉ばかりぢや有ません、吾信州教育界の名誉です。』
と髯《ひげ》の白い町会議員は改つて言つた。金縁眼鏡の議員は其尾に附いて、
『就きましては、有志の者が寄りまして御祝の印ばかりに粗酒を差上げたいと存じますが――いかゞでせう、今晩三浦屋迄|御出《おいで》を願へませうか。郡視学さんも、何卒《どうか》まあ是非御同道を。』
『いや、左様《さう》いふ御心配に預りましては実に恐縮します。』と校長は倚子《いす》を離れて挨拶した。『今回のことは、教育者に取りましても此上もない名誉な次第で、非常に私も嬉敷《うれしく》思つては居るのですが――考へて見ますと、是ぞと言つて功績のあつた私ではなし、実は斯ういふ金牌なぞを頂戴して、反《かへ》つて身の不肖を恥づるやうな次第で。』
『校長先生、左様《さう》仰つて下すつては、使に来た私共が困ります。』
と痩せぎすな議員が右から手を擦《も》み乍ら言つた。
『御辞退下さる程の御馳走は有ませんのですから。』
と白髯《しらひげ》の議員は左から歎願した。
校長の眼は得意と喜悦《よろこび》とで火のやうに輝いた。いかにも心中の感情を包みきれないといふ風で、胸を突出して見たり、肩を動《ゆす》つて見たりして、軈《やが》て郡視学の方へ向いて斯う尋ねた。
『どうですな、貴方《あなた》の御都合は。』
と言はれて、郡視学は鷹揚《おうやう》な微笑《ほゝゑみ》を口元に湛《たゝ》へ乍ら、
『折角《せつかく》皆さんが彼様《あゝ》言つて下さる。御厚意を無にするのは反つて失礼でせう。』
『御尤《ごもつとも》です――いや、それではいづれ後刻御目に懸つて、御礼を申上げるといふことにしませう。何卒《どうか》皆さんへも宜敷《よろしく》仰つて下さい。』
と校長は丁寧に挨拶した。
実際、地方の事情に遠いものは斯校長の現在の位置を十分会得することが出来ないであらう。地方に入つて教育に従事するものゝ第一の要件は――外でもない、斯校長のやうな凡俗な心づかひだ。曾《かつ》て学校の窓で想像した種々《さま/″\》の高尚な事を左様《さう》いつ迄も考へて、俗悪な趣味を嫌《いと》ひ避けるやうでは、一日たりとも地方の学校の校長は勤まらない。有力者の家《うち》なぞに、悦《よろこ》びもあり哀《かなし》みもあれば、人と同じ
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