、大方遊びにでも行つたものであらう。五歳《いつゝ》ばかりを頭《かしら》に、三人の女の児は母親に倚添《よりそ》つて、恥かしがつて碌《ろく》に御辞儀《おじぎ》も為なかつた。珍しさうに客の顔を眺めるもあり、母親の蔭に隠れるもあり、漸《やうや》く歩むばかりの末の児は、見慣《みな》れぬ丑松を怖れたものか、軈《やが》てしく/\やり出すのであつた。是|光景《ありさま》に、姑も笑へば、お妻も笑つて、『まあ、可笑《をか》しな児だよ、斯の児は。』と乳房を出して見せる。それを咬《くは》へて、泣吃逆《なきじやつくり》をし乍《なが》ら、密《そつ》と丑松の方を振向いて見て居る児童《こども》の様子も愛らしかつた。
話好きな姑は一人で喋舌《しやべ》つた。お妻は茶を入れて丑松を款待《もてな》して居たが、流石《さすが》に思出したことも有ると見えて、
『そいつても、まあ、丑松さんの大きく御成《おなん》なすつたこと。』
と言つて、客の顔を眺《なが》めた時は、思はず紅《あか》くなつた。
会葬の礼を述べた後、丑松はそこ/\にして斯の家を出た。姑と一緒に、お妻も亦《ま》た門口に出て、客の後姿を見送るといふ様子。今更のやうに丑松は自他《われひと》の変遷《うつりかはり》を考へて、塚窪の坂を上つて行つた。彼の世帯染みた、心の好ささうな、何処《どこ》やら床《ゆか》しいところのあるお妻は――まあ、忘れずに居る其俤に比べて見ると、全く別の人のやうな心地《こゝろもち》もする。自分と同い年で、しかも五人子持――あれが幼馴染《をさななじみ》のお妻であつたかしらん、と時々立止つて嘆息した。
斯ういふ追懐《おもひで》の情は、とは言へ、深く丑松の心を傷けた。平素《しよつちゆう》もう疑惧《うたがひ》の念を抱いて苦痛《くるしみ》の為に刺激《こづ》き廻されて居る自分の今に思ひ比べると、あの少年の昔の楽しかつたことは。噫、何にも自分のことを知らないで、愛らしい少女《をとめ》と一緒に林檎畠を彷徨《さまよ》つたやうな、楽しい時代は往《い》つて了《しま》つた。もう一度丑松は左様《さう》いふ時代の心地《こゝろもち》に帰りたいと思つた。もう一度丑松は自分が穢多であるといふことを忘れて見たいと思つた。もう一度丑松は彼の少年の昔と同じやうに、自由に、現世《このよ》の歓楽《たのしみ》の香を嗅いで見たいと思つた。斯う考へると、切ない慾望《のぞみ》は胸を
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