情《おもひやり》は妙なもので、反つて底意を汲ませないやうなことがある。それに蓮太郎の筆は、面白く読ませるといふよりも、考へさせる方だ。終《しまひ》には丑松も書いてあることを離れて了つて、自分の一生ばかり思ひつゞけ乍ら読んだ。
 今日まで丑松が平和な月日を送つて来たのは――主に少年時代からの境遇にある。そも/\は小諸の向町《むかひまち》(穢多町)の生れ。北佐久の高原に散布する新平民の種族の中でも、殊に四十戸ばかりの一族《いちまき》の『お頭《かしら》』と言はれる家柄であつた。獄卒《らうもり》と捕吏《とりて》とは、維新前まで、先祖代々の職務《つとめ》であつて、父はその監督の報酬《むくい》として、租税を免ぜられた上、別に俸米《ふち》をあてがはれた。それ程の男であるから、貧苦と零落との為め小県郡の方へ家を移した時にも、八歳の丑松を小学校へやることは忘れなかつた。丑松が根津村《ねづむら》の学校へ通ふやうになつてからは、もう普通《なみ》の児童《こども》で、誰もこの可憐な新入生を穢多の子と思ふものはなかつたのである。最後に父は姫子沢《ひめこざは》の谷間《たにあひ》に落着いて、叔父夫婦も一緒に移り住んだ。異《かは》つた土地で知るものは無し、強《し》ひて是方《こちら》から言ふ必要もなし、といつたやうな訳で、終《しまひ》には慣れて、少年の丑松は一番早く昔を忘れた。官費の教育を受ける為に長野へ出掛ける頃は、たゞ先祖の昔話としか考へて居なかつた位で。
 斯ういふ過去の記憶は今丑松の胸の中に復活《いきかへ》つた。七つ八つの頃まで、よく他の小供に調戯《からか》はれたり、石を投げられたりした、其|恐怖《おそれ》の情はふたゝび起つて来た。朦朧《おぼろげ》ながらあの小諸の向町に居た頃のことを思出した。移住する前に死んだ母親のことなぞを思出した。『我は穢多なり』――あゝ、どんなに是一句が丑松の若い心を掻乱《かきみだ》したらう。『懴悔録』を読んで、反《かへ》つて丑松はせつない苦痛《くるしみ》を感ずるやうになつた。


   第弐章

       (一)

 毎月二十八日は月給の渡る日とあつて、学校では人々の顔付も殊《こと》に引立つて見えた。課業の終を告げる大鈴が鳴り渡ると、男女《をとこをんな》の教員はいづれも早々に書物を片付けて、受持々々の教室を出た。悪戯盛《いたづらざか》りの少年の群は、一時に溢れて、
前へ 次へ
全243ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング