は一緒に根津の旅舎《やどや》の方へ出掛けて行つた。道々丑松は話しかけて、正直なところを言はう/\として見た。それを言つたら、自分の真情が深く先輩の心に通ずるであらう、自分は一層《もつと》先輩に親むことが出来るであらう、斯う考へて、其を言はうとして、言ひ得ないで、時々立止つては溜息を吐くのであつた。秘密――生死《いきしに》にも関はる真実《ほんたう》の秘密――仮令《たとひ》先方《さき》が同じ素性であるとは言ひ乍ら、奈何《どう》して左様《さう》容易《たやす》く告白《うちあ》けることが出来よう。言はうとしては躊躇《ちうちよ》した。躊躇しては自分で自分を責めた。丑松は心の内部《なか》で、懼《おそ》れたり、迷つたり、悶えたりしたのである。
軈《やが》て二人は根津の西町の町はづれへ出た。石地蔵の佇立《たゝず》むあたりは、向町《むかひまち》――所謂《いはゆる》穢多町で、草葺《くさぶき》の屋造《やね》が日あたりの好い傾斜に添ふて不規則に並んで居る。中にも人目を引く城のやうな一郭《ひとかまへ》、白壁高く日に輝くは、例の六左衛門の住家《すみか》と知れた。農業と麻裏製造《あさうらづくり》とは、斯《こ》の部落に住む人々の職業で、彼の小諸の穢多町のやうに、靴、三味線、太鼓、其他獣皮に関したものの製造、または斃馬《へいば》の売買なぞに従事して居るやうな手合は一人も無い。麻裏はどの穢多の家《うち》でも作るので、『中抜き』と言つて、草履の表に用《つか》ふ美しい藁がところ/″\の垣根の傍に乾してあつた。丑松は其を見ると、瀬川の家の昔を思出した。小諸時代を思出した。亡くなつた母も、今の叔母も、克《よ》く其の『中抜き』を編んで居たことを思出した。自分も亦《ま》た少年の頃には、戸隠から来る『かはそ』(草履裏の麻)なぞを玩具《おもちや》にして、父の傍で麻裏造る真似をして遊んだことを思出した。
六左衛門のことは、其時、二人の噂《うはさ》に上つた。蓮太郎はしきりに彼の穢多の性質や行為《おこなひ》やらを問ひ尋ねる。聞かれた丑松とても委敷《くはしく》は無いが、知つて居る丈《だけ》を話したのは斯うであつた。六左衛門の富は彼が一代に作つたもの。今日のやうな俄分限者《にはかぶげんしや》と成つたに就いては、甚《はなは》だ悪しざまに罵るものがある。慾深い上に、虚栄心の強い男で、金の力で成ることなら奈何《どん》な事でもして、
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