たかぎりは弔ひにやつて来た。父の墓地は岡の上の小松の側《わき》と定まつて、軈《やが》ていよいよ野辺送りを為ることになつた時は、住み慣れた小屋の軒を舁《かつ》がれて出た。棺の後には定津院の長老、つゞいて腕白顔な二人の子坊主、丑松は叔父と一緒に藁草履穿《わらざうりばき》、女はいづれも白の綿帽子を冠つた。人々は思ひ/\の風俗、紋付もあれば手織縞《ておりじま》の羽織もあり、山家の習ひとして多くは袴も着けなかつた。斯の飾りの無い一行の光景《ありさま》は、素朴な牛飼の生涯に克《よ》く似合つて居たので、順序も無く、礼儀も無く、唯|真心《まごゝろ》こもる情一つに送られて、静かに山を越えた。
 式も亦《ま》た簡短であつた。単調子な鉦《かね》、太鼓、鐃※[#「金+祓のつくり」、第3水準1−93−6]《ねうはち》の音、回想《おもひで》の多い耳には其も悲哀な音楽と聞え、器械的な回向と読経との声、悲嘆《なげき》のある胸には其もあはれの深い挽歌《ばんか》のやうに響いた。礼拝《らいはい》し、合掌し、焼香して、軈て帰つて行く人々も多かつた。棺は間もなく墓と定めた場処へ移されたので、そこには掘起された『のつぺい』(土の名)が堆高《うづたか》く盛上げられ、咲残る野菊の花も土足に踏散らされてあつた。人々は土を掴《つか》んで、穴をめがけて投入れる。叔父も丑松も一塊《ひとかたまり》づゝ投入れた。最後に鍬《くは》で掻落した時は、崖崩れのやうな音して烈しく棺の蓋を打つ。それさへあるに、土気の襄上《のぼ》る臭気《にほひ》は紛《ぷん》と鼻を衝《つ》いて、堪へ難い思をさせるのであつた。次第に葬られて、小山の形の土饅頭が其処に出来上るまで、丑松は考深く眺め入つた。叔父も無言であつた。あゝ、父は丑松の為に『忘れるな』の一語《ひとこと》を残して置いて、最後の呼吸にまで其精神を言ひ伝へて、斯うして牧場の土深く埋もれて了つた――もう斯世《このよ》の人では無かつたのである。

       (六)

 兎《と》も角《かく》も葬式は無事に済《す》んだ。後の事は牧場の持主に頼み、番小屋は手伝ひの男に預けて、一同姫子沢へ引取ることになつた。斯《こ》の小屋に飼養《かひやしな》はれて居る一匹の黒猫、それも父の形見であるからと、しきりに丑松は連帰らうとして見たが、住慣《すみな》れた場処に就く家畜の習ひとして、離れて行くことを好まない。物を呉
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