ろもち》には一時間余も眠つたらしい。戸の外には時雨《しぐれ》の降りそゝぐ音もする。起き直つて、買つて来た本の黄色い表紙を眺め乍ら、膳を手前へ引寄せて食つた。飯櫃《おはち》の蓋を取つて、あつめ飯の臭気《にほひ》を嗅《か》いで見ると、丑松は最早《もう》嘆息して了つて、そこ/\にして膳を押遣《おしや》つたのである。『懴悔録』を披《ひろ》げて置いて、先づ残りの巻煙草《まきたばこ》に火を点けた。
 この本の著者――猪子蓮太郎の思想は、今の世の下層社会の『新しい苦痛』を表白《あらは》すと言はれて居る。人によると、彼男《あのをとこ》ほど自分を吹聴《ふいちやう》するものは無いと言つて、妙に毛嫌するやうな手合もある。成程《なるほど》、其筆にはいつも一種の神経質があつた。到底蓮太郎は自分を離れて説話《はなし》をすることの出来ない人であつた。しかし思想が剛健で、しかも観察の精緻《せいち》を兼ねて、人を吸引《ひきつ》ける力の壮《さか》んに溢《あふ》れて居るといふことは、一度其著述を読んだものゝ誰しも感ずる特色なのである。蓮太郎は貧民、労働者、または新平民等の生活状態を研究して、社会の下層を流れる清水に掘りあてる迄は倦《う》まず撓《たわ》まず努力《つと》めるばかりでなく、また其を読者の前に突着けて、右からも左からも説明《ときあか》して、呑込めないと思ふことは何度繰返しても、読者の腹《おなか》の中に置かなければ承知しないといふ遣方《やりかた》であつた。尤《もつと》も蓮太郎のは哲学とか経済とかの方面から左様《さう》いふ問題《ことがら》を取扱はないで、寧《むし》ろ心理の研究に基礎《どだい》を置いた。文章はたゞ岩石を並べたやうに思想を並べたもので、露骨《むきだし》なところに反つて人を動かす力があつたのである。
 しかし丑松が蓮太郎の書いたものを愛読するのは唯|其丈《それだけ》の理由からでは無い。新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎といふ人物が穢多の中から産れたといふ事実は、丑松の心に深い感動を与へたので――まあ、丑松の積りでは、隠《ひそか》に先輩として慕つて居るのである。同じ人間であり乍ら、自分等ばかり其様《そんな》に軽蔑《けいべつ》される道理が無い、といふ烈しい意気込を持つやうになつたのも、実はこの先輩の感化であつた。斯ういふ訳から、蓮太郎の著述といへば必ず買つて読む。雑誌に名が出る、必ず目
前へ 次へ
全243ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング