き白妙の
雪をあざむくばかりなり

力《ちから》あるらし聲たけき
敵《かたき》のさまを懼れてか
聲色《いろ》あるさまに羞ぢてかや
妻鳥《めどり》は花に隱れけり

かくと見るより堪へかねて
背《せ》をや高めし夫鳥《つまどり》は
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛のさきも逆立《さかだ》ちて
血潮《ちしほ》にまじる眼のひかり
二つの※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》のすがたこそ
是《これ》おそろしき風情《ふぜい》なれ

妻鳥《めどり》は花を馳け出でて
爭鬪《あらそひ》分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪《けづめ》には
火焔《ほのほ》もちるとうたがはる

蹴るや左眼《さがん》の的《まと》それて
羽《はね》に血しほの夫鳥《つまどり》は
敵《てき》の右眼《うがん》をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれなゐの
血汐の花も地に染みて
二つの※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》の目もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに聲あり涙あり
爭ひ狂ふ四つの羽《はね》
血潮《のり》に滑りし夫鳥《つまどり》の
あな仆れけむ聲高し

一聲長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥《つまどり》の
羽《はね》は血汐の朱《あけ》に染《そ》み
あたりにさける花紅し

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一聲鳴けかしと
屍《かばね》に嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖《おそれ》と變りきて
思ひ亂れて音《ね》をのみぞ
鳴くや妻鳥《めどり》の心なく

我を戀ふらし音《ね》にたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵《てき》とならむとは

花にもつるゝ蝶あるを
鳥に縁《えにし》のなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其の情《なさけ》

紅《あけ》に染《そ》みたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる戀見れば
敵《てき》のこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも變りけり

かなしこひしの夫鳥《つまどり》の
冷えまさりゆく其姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥《めどり》の身の末ぞ

恐怖《おそれ》を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵《てき》に
なにとはなしに身をよする
妻鳥《めどり》のこゝろあはれなれ

あないたましのながめかな
さきの樂しき花ちりて
空色暗く一彩毛《ひとはけ》の
雲にかなしき野のけしき

行きてかへらぬ鳥はいざ
夫《つま》か妻鳥《めどり》か燕子花
いづれあやめを踏み分けて
野末を歸る二羽の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》
[#改ページ]

 林の歌


力を刻《きざ》む木匠《こだくみ》の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花《くさばな》彫刻《ほりもの》の
鑿《のみ》の韻《にほひ》もとゞめじな
いろさまざまの春の葉に
青一筆《あをひとふで》の痕《あと》もなく
千枝《ちえ》にわかるゝ赤樟《あかくす》も
おのづからなるすがたのみ
檜《ひのき》は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじふる白樫や
樗《あふち》は莖をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

   山精
  ひとにしられぬ
  たのしみの
  ふかきはやしを
  たれかしる

  ひとにしられぬ
  はるのひの
  かすみのおくを
  たれかしる

   木精
  はなのむらさき
  はのみどり
  うらわかぐさの
  のべのいと

  たくみをつくす
  大機《おほはた》の
  梭《をさ》のはやしに
  きたれかし

   山精
  かのもえいづる
  くさをふみ
  かのわきいづる
  みづをのみ

  かのあたらしき
  はなにゑひ
  はるのおもひの
  なからずや

   木精
  ふるきころもを
  ぬぎすてて
  はるのかすみを
  まとへかし

  なくうぐひすの
  ねにいでて
  ふかきはやしに
  うたへかし

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅《やまもゝ》袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿《ひかげ》の蔭のやまいちご
色よき實こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隅々《くま/″\》も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
亂れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峽《はざま》より
やゝひらけたる深山木《みやまぎ》の
春は木枝《こえだ》のたゝずまひ
しげりて廣き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか瀧川よ
聲もさびしや白糸の
青き巖《いはほ》に流れ落ち
若き猿《ましら》のためにだに
音《おと》をとゞむる時ぞなき

   山精
  ゆふぐれかよふ
  たびびとの
  むねのおもひを
  たれかしる
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