友にもあらぬ
  やまかはの
  はるのこゝろを
  たれかしる

   木精
  夜《よ》をなきあかす
  かなしみの
  まくらにつたふ
  なみだこそ

  ふかきはやしの
  たにかげの
  そこにながるゝ
  しづくなれ

   山精
  鹿はたふるゝ
  たびごとに
  妻こふこひに
  かへるなり

  のやまは枯るゝ
  たびごとに
  ちとせのはるに
  かへるなり

   木精
  ふるきおちばを
  やはらかき
  青葉のかげに
  葬れよ

  ふゆのゆめぢを
  さめいでて
  はるのはやしに
  きたれかし

今しもわたる深山《みやま》かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫《せう》の音《ね》をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝《ちえだ》にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々《きぎ》をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衞にいざなはれ
千々にめぐれる巖影《いはかげ》の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巖《あをいは》に
碎けて落つる飛潭《たきみづ》の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯《ひかり》照《て》りそふ水けぶり
獨り苔むす岩を攀ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭《たきみづ》の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらむ

   山精
  なにをいざよふ
  むらさきの
  ふかきはやしの
  はるがすみ

  なにかこひしき
  いはかげを
  ながれていづる
  いづみがは

   木精
  かくれてうたふ
  野の山の
  こゑなきこゑを
  きくやきみ

  つゝむにあまる
  はなかげの
  水のしらべを
  しるやきみ

   山精
  あゝながれつゝ
  こがれつゝ
  うつりゆきつゝ
  うごきつゝ

  あゝめぐりつゝ
  かへりつゝ
  うちわらひつゝ
  むせびつゝ

   木精
  いまひのひかり
  はるがすみ
  いまはなぐもり
  はるのあめ

  あゝあゝはなの
  つゆに醉ひ
  ふかきはやしに
  うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩《いろあや》の
いつしか淡く茶を帶び
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