ト見れば、十六世紀末から十七世紀の初へかけてのシェークスピアの時代は、まだ/\歐羅巴の中世的なものが多分に殘存した時であらう。新舊時代のものの入れまじつた時であらう。そのことはハムレットその人の複雜な性格の中にも見出されるであらう。彼はわれらの時代の人に近い近代人であるばかりでなく、同時に遠い昔の人のやうな中世騎士の面影を具へてゐる。あたかも、わが國元祿時代の近松、西鶴、芭蕉等の文學に新興の氣象の溢れてゐるやうに、シェークスピア戲曲の面白味もまたさういふ新舊の色彩の錯綜したところにあるのではあるまいか。その作品には縱横自在に筆が振つてあるにもかゝはらず、何となく古雅で、十九世紀初期の諸詩人の作風の涼しさ新しさとおもしろい對照を見せてゐるのは、いはれのないことでもない。
 今から四十餘年前に、西歐の文學を探らうと志した明治青年の多くは、佛蘭西のモリエールやコルネエユに行かないで、先づ英吉利のシェークスピアに行つた。これは外國交通の便宜と言語の習得等の事情によることは勿論であるが、大體の選擇に於いてわれらの先輩もかなり要領のいゝ人達であつたと思ふ。といふは、ダンテの高さを望み見るにしても、
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