Sブラン織の窓掛なぞは部屋についた造作と見ていゝ。洗面臺の上には造花模樣の陶製洗面器と、同じ陶製の水さしとが置いてあつたが、下宿のあるところから遠くないゴブランの町の陶器店で手に入れ得る程度のものだ。石造の暖爐の上は床の間の感じに近い。そこには古い置時計や、白い蝋燭をさした燭臺や、ランプや、その他にロココ式の古めかしい置物なぞがうるさいほどに並べてあつたと覺えてゐる。入口の扉の外は暗い廊下で、一方は食堂に續き、一方は狹い臺所と雪隱とにも近い。おそらく潔癖な澤木君はこの部屋に多くの薄ぎたないものを見つけたであらう。ちやうど君がわたしの下宿へ見えた時は、他に明き間もなくて、この部屋で我慢して貰つたが、たゞ廣いばかりで落ちつきもなくお氣の毒なくらゐのところだつた。こんなことをこゝに書きつけて見るのも他ではない。實は、そこにあつた寢臺なり、洗面器なり、青々とした葉かげの深いプラタナスの並木の枝から向ふの町の空に天文臺の圓い塔まで見えた窓の側なりは、このわたしに取つて君の記憶と引きはなしては考へられないくらゐである。のみならず、壁一重隔てた隣りの部屋はわたしが三年の月日を送つたところで、澤木君が顏を洗ふ音でも、窓をあける音でも、部屋を歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る音でも、そこにゐてわたしは手に取るやうに聞くことが出來たからであつた。
 澤木君はいかなる場合にも十分な支度をして置いて、それから事に當るといふ風の人であつたらしい。君はわたしの下宿に見える前に、ミュンヘンの方で佛蘭西美術を探ぐるに必要な支度を十分にして來た。だから巴里へ來たばかりの時に既に相應な佛蘭西美術の知識を持ち、その方面の消息にも通じてゐて、どこへ行けば何があるぐらゐの見當はおほよそはじめからついてゐた。さういふ澤木君のことだから、その後、伊太利の旅に出掛ける時にもかなりの支度があつたらうと思ふ。おそらく君の足がまだ伊太利の國境をも越えない前から、君の内にあるあの熱心な鋭い眼はアッシッシの丘にあるサン・フランチェスコの寺を見、羅馬にあるフォラムの殘礎をさまよつてゐたらうかと思はれる。君から貰つた歐羅巴での旅の消息は今、いくらもわたしの手許に殘つてゐない。僅かに數葉の繪葉書しか殘つてゐない。
『歐羅巴の秋の美は筆紙に盡しがたく候。大島氏にも御紹介によりて大に便宜を得、感謝に堪へず候。來月七日ナ
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