w力』も、太陽が岩戸からやゝ姿をあらはしかけた時に、その手を執つて引き出すことにのみ役立つたことを語りたいのである。何と言つても、『笑』の力は大きかつた。そこから日の光もあらはれ、大地も微笑み、神も人と交つた。
 さて、雜誌『日の出』がどういふ讀物を滿載して、多くの讀者を樂しませようとするのであるか、それをわたしは、言つて見ることも出來ない。襷、鉢卷、足拍子の面白さは、當時流行のエロ、グロ、ナンセンスであつても構はない。願はくは、それがわたしたちの内にも外にも高く太陽を掲げるためのものであつて欲しい。暗い岩戸を押しひらいて、知らず識らずのうちに、大衆を高めることの出來るやうな、好い滑稽が溢れたものであつて欲しい。

     東歌

[#天から4字下げ]夏麻引《なつそび》く海上潟《うなかみがた》の沖つ渚《す》に船はとゞめむさ夜ふけにけり
 後の代のものがどの程度まで遠い過去の藝術に入つて行けるかといふことは、よくわたしに起つて來る疑問であるが、謠曲の蝉丸を喜多六平太氏方の能舞臺に見た時、原作者の説き明さうとしたものが時と共に失はれ來た後世になつても、その人の感じたものだけは長く殘つてゐることに氣がついた。萬葉の古歌に就いても同じやうなことが言はれよう。この東歌は、人も知るごとく上總《かづさ》の國の歌として、卷十四に載せてある雜歌である。わたしはこの歌を感ずることは出來ても、十分に説き明すことは出來ない。萬葉の古歌がさう完全にはわからないことは、良寛のやうな人の書き殘したものにも見える。たゞその感じ得られる部分が、この東歌にはいかにも深い。何度繰り返して見ても盡きない趣がある。

     澤木梢君のおもひで

 澤木梢君が亡くなつた後、『三田文學』では特に記念號を出して、君を記念するために多くの頁を割いた。いろ/\な方面の人達からの追悼録があつめてあつて、しかもその多くが通り一遍の美しい言葉で君の生涯を埋めてしまふやうなものでないのには感心した。その中には知己友人の持ち寄つた澤木君らしい逸話もあり、曾ては君の教へ子であつたといふ人達の率直な印象も語つてある。
 どうして、人が亡くなつた後になつて、こんな風に語られるといふ場合がさうざらにあらうとも思はれない。君の性格が性格だから、だん/\話の合ふ人もすくなくなつて行つたかと思はれるし、殊に病苦と戰ふやうになつてから、
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