モに、さうばかりとも思はれない。

 些細なことがわたしたちを慰める、何故かなら些細なことがわたしたちを傷ませるからとやら。さういふわたしなぞも、些細なことに笑へたものだ。信州の山の上に七年の月日を送つた頃、長野でのクリスマスの晩に招かれて、燈火の泄れる教會堂へと案内される途中に、年若な牧師夫人が、二度も三度も雪に滑つて轉ぶ音を聞いた時。ずつと以前に仙臺への旅をして荒濱の方で鳴る海の音を下宿の窓に聞きつけた頃、その下宿の田舍娘から自分のアスの太いことを仙臺訛で笑はれて見ると、それが自分の長い放浪の結果であつたと初めて氣がついた時。ちよつと思ひ出して見たばかりでも、實に些細なことに笑ふことの出來た過去の自分が胸に浮んで來る。そして周圍にあつた友人等と同じやうに、自分等の性情を伸ばして行くことが出來たやうな氣がする。

 西洋の人に言はせると、一體に東洋人は笑はない、だから氣心が知りにくいといふ話を聞いたこともある。併しわたしたちの先祖からして、決して笑を解さない人達ではない。頬骨の高く鼻の低い『おかめ』の面の福々しいものから、農業時代の豐饒を祝福するかのやうな『翁』の面の氣高く老いさびたものにまで、古人の笑が殘つてゐるばかりでなく、おそらく外國には類の少なからうと思はれる笑をあらはした神像までわたしたちの國にはある。あの大國主、事代主の二神が國讓りの難局に處せられた遠い昔を想ひ見ると、今日の所謂非常時で、なか/\笑へる場合でもないのだ。それでも退いて民に稼穡《かしよく》の道を教へ、父は農業の祖神となり、子は商業と漁業との祖神となつたと言はれる神達が、どんな笑をこの世に持ち來したかは、夷《えびす》大黒として邊鄙な片田舍の神棚にも祀つてある一對の彫刻にもそれがあらはれてゐる。あの神達の笑はあまりに古くて、よく分らないが、後世の慾の深い人間が譯もなしに祭り上げるやうなものではなくて、思ひの外な深い笑であつたかも知れない。

 そんな遠い昔のことはしばらく措くとして、もつと近いところはどうだらう。どうして、わたしたちの先祖が笑を解さないどころか、猿樂から狂言となり、狂言から芝居となり、近代へと降つて來れば來るほど、古人の戲れた姿は殆んどわたしたちの應接にいとまがないくらゐだ。
 一例を言へば『暫』だ。舞臺の上の關白は對抗する力のために、見事にその荒膽《あらぎも》を取りひしがれ
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