。前に新井白石のやうな人があり、同時代には本居宣長のやうな人のある徳川天明期に、あゝいふ特色のある物語の作られたのも偶然ではないことをも知つて來た。
 これを舊い歌舞伎の世界に思ひくらべても、謠曲から來たものが多く傳説を取り扱ひ、淨瑠璃から來たものの一面が歴史を取り扱つてあるといふ風に考へて見ることは、やがて歌舞伎の中幕物と一番目物との本質を知る上に解を得ることが多い。そして中幕物と一番目物とは種々の技法を異にするばかりでなく、それを助くる音曲までを異にし、前者が舞臺の上で用ゐらるゝのは常磐津《ときはづ》、清元、長唄の曲であるのに引きかへ、後者では義太夫の曲であるやうな、さういふ相違のあることもはつきりして來る。傳説を傳説として好く取り扱つたものは、歌舞伎の世界にして見ても動かせないやうな氣がする。『羽衣』、『茨木』の類は、今見てもそれ/″\おもしろいばかりでなく、おそらく後世の人の眼をもよろこばすであらう。『鳴神』、『鏡獅子』、それから『道成寺』なぞもさうだ。『勸進帳』を直ちに傳説とは言へないまでも、すくなくもそこにあらはれて來るのは多分に傳説化された人物である。『暫』となるとやゝ趣を異にして、その勢力は當時の京都を凌がうとする江戸人の笑をあらはした漫畫に近いやうな氣もするが、あれとても舞臺の上の表現は多分に傳説的だ。ともかくも、それらに共通な誇張や、グロテスクな隈取りや、濃厚な色彩なぞは、傳説を取り扱ふ上にのみ許されていゝやうなもので、そこに歌舞伎の一面の味がある。歴史を取り扱つたものは、さうは行かない。それほどの誇張と濃い色彩とは歴史には許されない。ところが傳説と歴史とは兎角混同され易いために、どつちつかずのやうな時代物もある譯で、時を經るにしたがつて色も褪せ、種々な物足らなさも起つて來てゐると思ふ。歴史には歴史の取り扱ひ方があつていゝ筈だ。今になつて想像すると、故人九代目團十郎はそこに氣がついた人であつたかして、所謂活歴なるものを創始しようと試みた。その趣意は活きた歴史を舞臺の上に取り扱はうとするところにあつたらしいが、作者にその人を得なかつたためか、折角のおもしろい試みも目的を達しないで世人の嘲笑の裡に葬られたやうである。いかに故實をよくしらべ、考證の行屆いたやり方でも、たゞそれだけでは歴史は活き返つて來なかつたとも言はれよう。それにしても失敗を恐れなかつ
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