來した和蘭藥草の種子が初めてこの國の土に蒔かれもし又根づきもしたのも、ケンペルの開拓した植物園であつたらう。往時の長崎奉行とも言ひたい風俗の士が從者と共に異人の間にまじつてその靜かな園内を逍遙するさまを描いたものは、銅版畫としても殘つてゐる。蘭醫の大家として名高いシイボルトがずつと後になつて長崎に渡來し、この先着の同國人が殘した植物園を見た時は餘程の感慨を覺えたものらしい。シイボルトがケンペルを記念するために園内に建てた碑は今は長崎の公園の方に移されてあるといふ。わたしはその碑文の譯を見たこともあるが、今だにあれは忘れがたい言葉としてわたしの胸に殘つてゐる。どういふ人の筆になつたものか知らないが、その譯も好い。
[#天から2字下げ]『緑そひ、咲きいで、そが植ゑたる主をしのびては、めでたき花の鬘《かつら》をなしつゝあるを。』
今度の仕事が第二部第二章までを中央公論誌上に發表した頃、匿名の人よりわたしは葉書を貰つた。それには、『貴作「夜明け前」を雜誌の上で缺かさず愛讀してゐるものです。「中央公論」七月號のも拜讀いたしました。その中で、三十五頁の十三行目に、「大阪平野の景色」云々といふところは河内平野ではないかと思ひます。或ひは河内平野の方がよいかと思ひます。あの邊の淀川は河内(現在北河内郡)を流れて居りますから。大變失禮ですが、一寸氣がつきましたので御參考に申し上げる次第です。』としてあつた。この注意はありがたいと思つて、次囘を發表する時に訂正を附記し、併せてその厚意をも謝して置いたが、匿名の人の誰であるかは分らなかつた。過ぐる日、芝三縁亭の會で宇野浩二君と一緒になつて見ると、あの葉書を呉れた愛讀者とは君であつたとか。あんなに思ひがけなく、またうれしく思つたこともない。
餘事ながら、第一部を通讀したしるしにと言つて、織田正信君を介してその愛藏する『慊堂遺文』二卷を贈られ、自分を勵まして呉れたY博士のやうな人もあつた。過ぐる七年の間、わたしは自作草稿の第一部を作るために三年を費し、第二部のためには四年を費したが、こんなに月日をかけたことが決して自慢にならない。むしろそれら一切を忘れたい。
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めづらしき友とあひ見て語らへばくやしくも我は耳しひてあり
耳しひてあれども何かくやむべきあひ見るだにも難しと思へば
[#ここで字下げ終わり]
[#地から
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