竄ツて來た。さういふ中で、町へ來る冬の雨の音ほど、このわたしの心を落ちつかせるものはない。その音を聽くたびに、わたしはいろ/\なことを思ひ出す。平素は殆ど忘れてゐたやうなことまで思ひ出す。そして、この生を耐へる氣になる。
[#天から4字下げ]人々をしぐれよ宿は寒くとも
南の障子に近く行つてこの昔の人の句を口ずさんで見る。雪景色が好きでよく描いたらしい王維の繪畫にあらはしてあるやうな、あの寒い遠さを一緒に胸に浮かべて見る。しぐれながらも人を訪ふものがあり、雪に濡れながらも道を行くものがある。さういふ思ひを傳へるものは、句にしても繪畫にしても、すべて親しい。それが冬の姿であれ風情であれ、底に燃える焔を形にあらはして見せて呉れるやうなものであるなら、猶々ありがたい。
二
昨年度において、私の心に引かれたものの一つは、ゲエテ百年祭を機會にあの詩人を囘顧する聲のかなり賑やかであつたことである。岩波書店で發行する雜誌『思想』のゲエテ研究號を初め、わたしは自分の手の屆くかぎり諸家の筆になるものを讀むのを樂しみにして、ゲエテの研究もこゝまで深められたかと想つて見た。その人が亡くなつてから百年もの後になつて、こんなにゲエテを探す聲の聞えて來るのは、どういふわけかと想つて見た。それほどわたしたちの生活が急速な歩調で、自然から遠ざかりつゝあるためではなからうかとも想つて見た。
大きな自然を母とすることにおいて、ゲエテはまさしく十九世紀の人である。わたしたちの求むべきものは、ゲエテの跡を求めることではなくて、ゲエテの求めたものを求めることにある。
ゲエテの生涯になつかしいことは、あれほど險しい理路を辿りながら、しかも正しい感情を解放し得たところにある。あれほど人間的なものを愛し、また一生を通してその愛を深めて行つたところにある。
昨年度は、市川團十郎の三十年祭といふことでも、いろ/\な催しがあり、諸家の追憶談で賑はつた。どうも非常時には亡くなつた偉人を喚び起すことが流行して、故人のやうな劇壇の偶像破壞者までを更に偶像扱ひにすることは感心しないが、しかし三十年後の今日に故人の生涯を見直さうとした幾人かの人達の眼のあつたことは心強い。歌舞伎の世界に反抗の精神を持ち來した故人が、淫靡で頽廢した江戸末期の舞臺の上の空氣に決して滿足しなかつたこと、故人の一面がその意
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