加人の服装などは殊《こと》に目につく。そういう中で、比佐は人並に揃った羽織袴も持っていなかった。月給の中から黒い背広を新規に誂《あつら》えて、降っても照ってもそれを着て学校へ通うことにした。しかし、その新調の背広を着て見ることすら、彼には初めてだ。
「どうかして、一度、白|足袋《たび》を穿《は》いて見たい」
 そんなことすら長い年月の間、非常な贅沢《ぜいたく》な願いのように考えられていた。でも、白足袋ぐらいのことは叶《かな》えられる時が来た。
 比佐は名影町の宿屋を出て、雲斎底《うんさいぞこ》を一足買い求めてきた。足袋屋の小僧が木の型に入れて指先の形を好くしてくれたり、滑《なめら》かな石の上に折重ねて小さな槌《つち》でコンコン叩《たた》いてくれたりした、その白い新鮮な感じのする足袋の綴《と》じ紙を引き切って、甲高な、不恰好《ぶかっこう》な足に宛行《あてが》って見た。
「どうして、田舎娘だなんて、真実《ほんと》に馬鹿に成らない……人の足の太いところなんか、何時の間に見つけたんだろう……」
 醜いほど大きな足をそこへ投出しながら、言って見た。
 仙台で出来た同僚の友達は広瀬川の岸の方で比佐を待つ時だった。漸く貧しいものに願いが叶った。初めて白足袋を穿いて見た。それに軽い新しい麻裏|草履《ぞうり》をも穿いた。彼は足に力を入れて、往来の土を踏みしめ踏みしめ、雀躍《こおどり》しながら若い友達の方へ急いだ。



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日初版発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:富田倫生
1999年12月11日公開
2003年10月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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