かけるのは、生《い》きている子供《こども》に話《はな》しかけるのとほとんど変《か》わりがないくらいであった。それほどに好《す》きで、抱《だ》き、擁《かか》え、撫《な》で、持《も》ち歩《ある》き、毎日《まいにち》のように着物《きもの》を着《き》せ直《なお》しなどして、あの人形《にんぎょう》のためには小《ちい》さな蒲団《ふとん》や小《ちい》さな枕《まくら》までも造《つく》った。袖子《そでこ》が風邪《かぜ》でも引《ひ》いて学校《がっこう》を休《やす》むような日《ひ》には、彼女《かのじょ》の枕《まくら》もとに足《あし》を投《な》げ出《だ》し、いつでも笑《わら》ったような顔《かお》をしながらお伽話《とぎばなし》の相手《あいて》になっていたのも、あの人形《にんぎょう》だった。
「袖子《そでこ》さん、お遊《あそ》びなさいな。」
と言《い》って、一頃《ひところ》はよく彼女《かのじょ》のところへ遊《あそ》びに通《かよ》って来《き》た近所《きんじょ》の小娘《こむすめ》もある。光子《みつこ》さんといって、幼稚園《ようちえん》へでもあがろうという年頃《としごろ》の小娘《こむすめ》のように、額《ひたい》のところへ髪《かみ》を切《き》りさげている児《こ》だ。袖子《そでこ》の方《ほう》でもよくその光子《みつこ》さんを見《み》に行《い》って、暇《ひま》さえあれば一緒《いっしょ》に折《お》り紙《がみ》を畳《たた》んだり、お手玉《てだま》をついたりして遊《あそ》んだものだ。そういう時《とき》の二人《ふたり》の相手《あいて》は、いつでもあの人形《にんぎょう》だった。そんなに抱愛《ほうあい》の的《まと》であったものが、次第《しだい》に袖子《そでこ》から忘《わす》れられたようになっていった。そればかりでなく、袖子《そでこ》が人形《にんぎょう》のことなぞを以前《いぜん》のように大騒《おおさわ》ぎしなくなった頃《ころ》には、光子《みつこ》さんともそう遊《あそ》ばなくなった。
 しかし、袖子《そでこ》はまだ漸《ようや》く高等小学《こうとうしょうがく》の一|学年《がくねん》を終《お》わるか終《お》わらないぐらいの年頃《としごろ》であった。彼女《かのじょ》とても何《なに》かなしにはいられなかった。子供《こども》の好《す》きな袖子《そでこ》は、いつの間《ま》にか近所《きんじょ》の家《いえ》から別《べつ》の子供《こども》
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