く時を送つたのもその二校だつた。母衣の方では學藝會の催しのある日で兒童の遊戲なぞも始まつてゐた。私も子供は好きだ。長い廊下を挨拶して通る少年でも呼び留めて、いろ/\と言葉をかはして見たく思つたが、時と場合がそれを許さなかつた。私達は連立つて、北堀といふところに小泉八雲の舊居をも訪ねた。舊くはあるが床《ゆか》しい家中《かちゆう》屋敷で、庭に咲く百日紅《さるすべり》、花はないまでも桔梗、芍藥なぞ、この地方の夏はそこにも深いものがあつた。主人も心ある人と見えて、質素な書齋の襖から櫛形の窓まで、明治初年の昔からあるものを何一つ置き換へることもなしに清潔に住みなしてある。故人が愛したと聞く池の蓮も、この記念の家を靜かに見せてゐた。
千鳥城はこの山陰地方で天守閣を保存する唯一の城址である。そこへも訪ねて行つて見ると、寄せ木の太い柱を鐵の板で堅めてある天守閣の内部は、武裝を解かれて休息してゐる建物か何かのやうであつた。ところ/″\に蟲ばんだ柱を見るが、堅牢な感じを失はない。往昔、堀尾吉晴によつて築かれ、小瀬甫庵《をぜほあん》の繩張りによるといはれるのもこの城だ。五層ほどもある高い建物の位置からは松江の市街がよく見えた。天狗、星上《ほしかみ》、茶臼の山々から、伯耆の大山までが呼べば答へるやうな眺望のよい位置にある。あの大雅堂のやうな人がこの地方へ旅して來た昔に、宍道湖にひゞく古鐘の音に聞きほれて、半年も歸ることを忘れたといふ天倫寺の屋根も、そこから見渡される。その古鐘こそ朝鮮から渡來したものと聞くが、未だに古い響を湖水に傳へてゐるかどうかは知らない。
千鳥城から見える星上山は私達の宿からも見える。この山陰の旅には私もいろ/\な望みをかけて、日本最古の地方の一つを踏んで見るといふだけでも樂しみにして來た。出來ることなら、海岸ばかりでなしにもつと山地の方まで入つて行つて、古代の人が、現世と黄泉《よみ》の國との境であると想像したといふ出雲の伊賦夜坂《いぶよさか》(比良坂《ひらさか》)のあたりを歩いて見たらばと思つて來た。比婆山《ひばさん》の位置もはつきりしないとは聞くが、もしそんなところまで行くことが出來て、あの伊邪那美の神の墳墓の地を見たらばとも思つて來た。眼にある星上山の向うには、その比婆山《ひばさん》も隱れてゐるといふことであつた。こゝは古代の大陸との交通を想像させるばかりでな
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