して行かう。それを私は鷄二にも話して、その日一日は宿で暮すことにした。思ひ做《な》しの故《せゐ》か、袖ヶ浦の向うに見える一帶の山々までが横になつて、足でもそこへ投げ出してゐるかのやうでもある。それがのんびりとした感じを人に與へる。旅の私にまで、先づ休んで行け、といつてゐるやうにも見える。淡水湖と聞く宍道湖の水は、山上の湖水のやうに重苦しくなく、海のやうに激しい變化もない。湖上に波の騷がない日はないとも聞く嚴冬の季節は知らないこと、今は自然も休息してゐる時である。
連れの鷄二はかういふ日だとばかり、かねて用意して來た畫布なぞを、廊下のところに取り出し、おもしろく造つてある庭の一部から湖水まで、餘念もなくその畫面のうちに取り入れてゐた。そこでは庭の砂の色まで明るい。無果花《いちじく》の枝に小さな浴衣なぞの掛けて乾かしてあるのも、宿の女の兒達の着るものかと見えて愛らしい。
「なんだか、こゝへ來ると好い氣持になつてしまふね。」
時々鷄二は、そんなことをいつて、描《か》きかけの繪筆もそこに投げ捨て、庭から岸の石垣の方へ降りて行つた。泳ぎか、舟か、暇さへあれば鷄二は湖水に出て遊んだ。
「父さん、こゝの人達の話を聞いて見た? 出雲なまりといふやつは隨分變つてるね。僕が舟の中でスケツチしてゐると、通る船頭が二人で話してゐたが、何をいふかさつぱり分らなかつた。」
と鷄二はいつてゐた。見ると、岸に繋いだ小舟から薪を背負つて、宿の勝手口の方へと運んで行く男もある。その男は背に小蓑をあててゐる。鷄二はそれを私に指して見せて、
「父さん、御覽。僕等の國の方では『せいた』を使ふが、こちらの人はあんな藁の紐で背負つて行くよ。遠いところは、とてもあんなことぢや駄目だがなあ。」
こんな比較を語つた。薪の背負ひ方にかぎらず、關東を見た眼でこの地方を見ると、いろ/\な相違を見つけることも多かつた。櫓の綱の長く、櫓壺の淺く、櫓ちんの割合にはづれ易く見えるなぞもその一つだつた。この邊の人の小舟の漕ぎ方は上海あたりのジヤンクを私に思ひ出させた。
その日は舊い暦の上での十六日に當つた。私は遠く離れて來てゐる東京の留守宅のことを胸に浮かべて、ことしの盆はどうしたらうなぞと思ひやつた。夕方には、大橋の方の柳の枝のかげあたりから、提燈のやうな大きな月が上つた。
九 境港と美保《みほ》の關《せき》
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