貰つたはよかつたが、どうにもくすぐつたく、自分の内股をつねつて漸くそれを我慢したことなぞを白状して、私を笑はせた。
 この松江へ來るまでの途中での旅の印象、そこで望んで來た入江の水、そこで望んで來た岸の青田なぞは、まだ私の眼にあつた。その中には恐ろしいまでに龜裂を生じた田もあつて、あれはことしの旱《ひで》り續きの結果か、いや、あれが鹽田といふものか、と汽車中の乘客が大騷ぎしたことも忘れられない。松江に來て見て、この地方にも田植時分の雨の少なかつたことを知つた。こんな水郷の感じのするところで、どうして水に不自由したらう。それを私が宿の女中にたづねたら、
「水は水でも、潮水でございますもの。」
 それが女中の返事であつた。農夫等は水を見ながら、乾いた田をどうすることも出來なかつたといふ。さういふ田は今年だけ畑にして、また來年の田植の時を待つといふことであつた。
 私達親子のものは、めつたにこんな旅を一緒にしたこともない。二人きりとなると、互ひの旅の心持も比べて見たい。
「御覽な、どこの宿屋へ行つても二の膳付だぜ。御馳走して貰ふのはありがたいが、みんな食べられるやうな物を出したらどうだらう。」
「いや、僕はさう思はないね。お客さまの好きなものもあれば、嫌ひなものもある。宿屋ではそこまでは分らないだらう。だからいろ/\なものをそこへ並べて出せば、お客さまは自分の好きな物を喰ふ。お父さんのやうな人ばかりがお客さまぢやないからね。」
「お前のいふことも、一理窟あるかナ。」
 こんな話も旅らしい。
 この松江の宿で、私達は七月十四日の朝を迎へた。大橋は水に映つて、岸から垂れさがる長い柳の影もすゞしい。私達の眼にある光と影とで、朝の湖水らしくないものはなかつた。何を見ても眼がさめるやうであつた。舟のすきな鷄二は石垣の下に繋いである宿の小舟を見つけ、早速宿の主人に交渉して、朝のうちにそこいらを漕ぎ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて來た。まだ朝飯には間があつた。私も鷄二と一緒に舟で宍道湖の上に浮んで見た。櫓は私もすきで、東京淺草の新片町に住んだ時分にはよくあの隅田川の方へ舟を出したこともある。舟も何年振りか。それを私も思ひ出して自分でも櫓《ろ》をあやつりながら嫁ヶ島の方角をさして漕ぎ出して見ると、思つたよりもその邊の水の淺いことも分つた。澤山な蜻蛉《とんぼ》の群は水の上を飛
前へ 次へ
全55ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング