と砂山の多い因幡《いなば》の海岸に見つけることも出來た。旅の心は白兎の停車場に至つて驚く。私達は出雲《いづも》地方までゆかないうちに、ずつと大昔からの言傳へが、こんなところにも殘つてゐるのかと、先づそのことに驚かさる。大國主の神が多勢の兄弟と共に旅して來た稻羽《いなば》の海岸とはこゝだといふことに氣がつく。智惠のある白い兎が※[#「二点しんにょう+於」、310−下−22]岐《おき》の島から鰐の背を渡つて來たのもこゝだといふことに氣がつく。あれは古い神話のうちでももつとも樂しいものの一つだ。私達の側には鳥取から一緒に乘つて來た鳥取新報の記者もゐて、鰐とは青い鮫《さめ》のことであり、それが古代の海賊のことであり、白兎《しろうさぎ》とは善良な民族のことであるといふ一説なぞを話し聞かせてくれた。記者は故有島武郎君をも知つてゐて、同君の亡くなる前の年かに、鳥取地方へ講演の旅のついでに疲れを忘れて行つたといふ濱村温泉をも私に指して見せた。あの「星座」の著者を記念するやうな濱村温泉は海に近いところにあつた。私達はその海邊に添うた砂山と松林とをも車の窓から見て通り過ぎた。
 因幡《いなば》の國境を離れて伯耆《はうき》に入つたころは、また夕立がやつて來た。暗い空、黒い日本海。車窓のガラスに映る水平線のかなたには僅に空の晴れたところも望まれたが、やがて海へも雨が來た。私達は上井《あげゐ》の停車場で一旦汽車から降りて、三朝《みささ》行の自動車に乘りかへた。濱村温泉といひ、東郷温泉といひ、これから私達が訪ねてゆかうとしてゐた三朝温泉といひ、この附近には至るところに好い温泉地のあることも思はれる。
 雨を衝いて二里ばかりの道を乘つていつた。次第に山も深い。川がある。橋がある。三朝川は私達の沿うて上つて行つた溪流だが、いつの間にか河上の方から流れてくる赤く濁つた水を見た。

 三朝川は前を流れてゐた。私達は三朝温泉の岩崎といふ旅館に一夜を送り、七月十三日の朝を迎へて、宿の二階の廊下のところへ籐椅子なぞを持ち出しながら、しばらく對岸の眺望を樂しんで行かうとした。雨もあがつて、山氣は一層旅の身にしみた。河の中洲を越すほど溢れてゐた水もいつの間にか元の瀬にかへつた。こゝで聽く溪流の音はいかにも山間の温泉地らしい思ひをさせる。河鹿の鳴聲もすゞしい。ゆふべは私は宿の女中の持つて來て見せた書畫帖の中に、田
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