庇、低い二階の窓、どうかすると、石や横木を載せた屋根の見られるのは、冬期の長さも思ひやられる。私は北は信州の飯山《いひやま》あたりまでしか行かないから、越後路のことは知らないが、こゝも雪は深さうだ。
宿に歸つて見ると、こゝの中學校の先生が一册の本を屆けてくれた。「郷土讀本」としてある標題のもので名刺も添へてある。その名刺の裏には、「わざとお目にはかゝらないが、私達の郷土をよく見て行つて下さい」といふ意味のことが書いてあつた。この註文は容易でない。さういふ私は訪ねて見たいと思ふ學校も訪ねず、古い尚徳館の跡も見ずじまひに歸つても、歌人香川景樹を生んだといふこの土地に來て見て、旅の疲れを休めて行くといふだけでも、澤山だと思つた。
私達の泊つた鳥取の宿は古いといへば古い家で、煙草盆は古風な手提げのついたのだし、大きな菓子鉢には朱色の扇形の箸入を添へてだすやうな宿ではあつたけれど、わざとらしいところは少しもなく、客扱ひも親切で、氣樂なところが好《よ》かつた。膳に向つて見ると、食器もすべて大切に保存されたやうな器ばかり。すゞしさうなガラスの皿に鮎の鹽燒をのせてだしたのも夏らしい。こゝの料理は年とつたおかみさんの庖丁と聞くが、大阪の宿を除いてはこゝで食はせるものは一番私の口に適《かな》つた。味もこまかい。旅人としての私は、自分等の前に置かれた宿屋の膳に向つて、吸物わんのふたを取つて見ただけでも、おほよそその地方を想像することが出來るやうな氣もする。その意味から、旅の窓よりこの山陰の都會を望んで見た時は、さういふ味のこまかいところが鳥取かとも私には思はれた。
熱い日の光りは町々に滿ちてゐた。岡田君と連立つて久松山の古城址を訪ねて見ると、苔蒸した石垣の間に根を張る樹木の感じも深く、堀に殘つた青い蓮もそこに夏のさかりを語り顏であつた。城址といふ城址も多い中で、この高い城山ほど市街を支配するやうな位置にあるものも少からう。往昔、豐臣秀吉の時代に、吉川經家のやうな勇將がこの城を死守したことは、今だに土地の人達の語り草となつてゐる。ちやうど私達の踏んでゆく日のあたつた道は、それらの武士達の血の流れた跡かとおそろしい。山腹にある櫓《やぐら》のあたりまで登つてゆくと、鳥取の町がそこから見渡される。千代川はこの地方の平原を灌漑する長い水の流れだ。
しばらく私達はこの眺望のある位置に時を送
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