たつた。人力車の時代は既に過ぎて、全國的な自動車の流行がそれに變りつゝある。こんな餘事までも考へながら、前の日に一臺の自動車で鳥取の停車場前から乘つて來た私達はその車に旅の手荷物を積み、浦富からずつと一緒の岡田君とも同乘で、山陰道でも屈指な都會の町の中へはじめて來て見る思ひをした。私達は右を見、左を見して、自動車で袋川を渡つて來た。まだ流行の全集本が地方の豫約募集を終りきらないころで、祭禮のやうに紅い旗が往來の人の眼をひいてゐた。私達はかごをかついで通る魚賣りなぞの眼につくやうな、町の空氣の濃いところへ來て、古めかしい石の門のある宿屋の前で車から降りたが、そこが岡田君の案内してくれた小錢屋であつた。
 七月の十一日は、私はすこし腹具合を惡くしてゐたので、旅疲れのしたからだを一日休めることにした。ちやうど私達は宿で赤兒の生れたところへ泊り合せて、ほとんど自分等二人きりで風通しのよい二階の座敷を占領したやうな形であつた。客もすくない二階の表廊下へ出ると、めづらしい實を結んだ棕梠の庭樹の間から、鳥取の町の空が見えた。今をさかりと咲き誇る夾竹桃《けふちくたう》の花の梢も夏らしいやうな裏の廊下の方へも行つて見た。きのふは町の屋根の上に晝の花火を望んだのもそこだ。遠くの寺からでもひゞいてくるやうな靜かな鐘の音を聞きつけたのもそこだ。宿の女中に頼んで置いた按摩も來てくれたので、午前のうちに私はすこし横になつて寢ながら土地の話を聞いた。こゝには腸のさはりを調《とゝの》へるに好い藥草もあると聞いて、試みにそのせんじ藥なぞを取りよせて飮んだ。
 連れの鷄二はぢつとしてゐなかつた。午前のうちには古い城址の方まで歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りに行つたといつて汗をふき/\歸つて來た。午後からはまた宿へ訪ねてくれた岡田君と連立つて、この地方の海岸に名高い砂丘の方へと出かけた。私一人になると、一層二階は靜かだ。私はさびしく樂しい旅の晝寢に、大阪の扇を取り出して見、豐岡川の方で見て來た青い蘆、瀬戸の日和山での歸りがけに思ひがけなく自分の足許へ飛び出した青蛙のことを思ひ出して見て、そんな眼に殘る印象にも、半日の徒然《つれ/″\》を慰めようとした。ちやうど宿の老人がこの私の側へ來て、その日は初孫の顏を見てから三日目にあたるといつて、生れた男の子のために名をつけることを私に頼むといふ。
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