はれるのもこゝだ。磯釣の船を浮べて、岸近く寄つてくる黒鯛を突き刺す光景なぞも、こゝではさうめづらしくない。
 私達はあの瀬戸の日和山《ひよりやま》で望んで來た日本海を、城崎から香住までの汽車の窓からも望み、香住では岡見公園といふ眺望のある位置からも望んで見た。大乘寺から程遠からぬところにその小さな岡見公園があつた。そこはまだ公園としての設計も十分に出來てゐないやうな小高い山の上にあつた。私も前途の疲勞を恐れて、そこまではと辭退して見たが、大乘寺へ同行した伊藤君にそゝのかされて、また勇氣を起して坂道を登つた。松林の間を分け行つたところに、「かつたい落し」と名のついた高い崖も見える。信州あたりに姨捨山《をばすてやま》といふと似てゐる。往昔、癩の患者が衆人に忌み嫌はれその崖の上から深い海へ突き落されたのだとは、昔話にしても恐ろしい。山の上には共同の腰かけも置いてあつた。伊藤君のはからひで、近くの茶屋からはサイダーなぞをそこへ運んで來てくれた。城崎の油《ゆ》とうやの若主人はそこまでも私達を案内して來て、一緒に腰かけて休んだ。
 海はよく見えた。私は山陰道の自然を、大體に自分の胸に浮べることも出來るやうになつた。旅に來た私に取つては、それをつかむことが肝要でもあつたのである。言つて見れば、この海岸に連なり續く岩壁は、大陸に面して立つ一大城廓に似てゐる。五ヶ月もの長さにわたるといふ冬季の日本海の猛烈な活動から、その深い風雪と荒れ狂ふ怒濤とから、われわれの島國をよく守るやうな位置にあるのも、この海岸の岩壁である。腰骨の根強さである。おそらく山陰道は、その地勢からいつても、東海道ほどに惠まれてゐないかも知れない。山陽道にもおよばないかも知れない。そのかはりこゝには他に見られない自然の特色があり、到るところに湧き出づる温泉があり、金、銀、鐵、石炭その他の鑛物を産する無盡藏の寶庫もある。折よく私達は日本海の靜かな時に來た。この自然が休息してゐる間に旅をつゞけなければならない。
 豐岡川に、瀬戸に、大乘寺に、それから岡見公園に、その日は私もかなり疲れた。伴れの鷄二は、と見ると、あまり疲れたらしい樣子も見えなかつたが、城崎で聞いて來た岩井の宿へその日のうちに着いて、河鹿の鳴く聲が聞えるといふやうな山間の温泉宿で互の靴のひもを解きたいと思つた。
 香住の停車場で、私達は岩美《いはみ》行の汽車
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