陽花《あじさゐ》がそのあたりにさき亂れてゐて、茶屋へゆくまでの小路も樂しかつた。
海も凪《なぎ》だ。山陰道へ來て始めて私達が日本海を望んで見たのも、その日和山からである。茶屋の樓上からは近くに後《うしろ》が島、かなたに鏡が崎も望まれて、際涯《はてし》もなく續いてゐるやうな大海と、青く光る潮の筋とを遠く見渡すことも出來た。そこまでたどり着くと、海風が吹き入つてすゞしい。うつかりすると私達の夏帽子までが風にとばされるくらゐだ。私達はそこで味はふ茶に途中の暑苦しさも忘れて、およそ二時間ばかりも海のよく見えるところに時を送つた。
三 大乘寺を訪ふ
香住《かすみ》の大乘寺は俗に應擧寺といつて、山陰方面では圓山應擧の畫で知られてゐる。
私が鷄二を伴つてこの寺を訪ねようとしたのは、瀬戸の日和山に登つて海を望んだ日の午後であつた。晝飯後に、私達は城崎を辭し、土地の人達に別れを告げようとした。油《ゆ》とうやの若主人は、香住まで案内しようといつてくれるので、この暑さに氣の毒とは思つたが、その言葉に從つた。そこで、三人して香住に向つた。城崎から香住までは里數にしても僅かしかない。汽車で四十分ばかりも海岸を乘つてゆけば、それで足りた。
香住の停車場に着いて見ると、村の自動車が二臺までもそこに客を待つてゐた。訪ねる人もかなりあると見えて、乘合の客の多くは大乘寺行の人達だ。思ひがけなく私達はその村で伊藤君といふ好い案内者を得たが、ちやうど私達が香住に着いたのは午後の二時頃の暑いさかりで、あいさつするにも、自動車を頼まうにも、自分等の手から扇子をはなせないくらゐであつた。そこにも、こゝにも、立ちながら使ふ扇子の白く動くのが見えた。
自動車は容易に出なかつた。そこには、一人でも多く客を拾つて行かうとするやうな運轉手があり、無理にもまた乘せろといつて割り込まうとする客もあつた。のん氣で、ゆつたりとしたところは、どこの田舍の停車場前もさう變りがない。何となく私達まで氣ものび/\として來た。急ぐ旅でもない、さう思ふやうになつた。その日のうちに岩井あたりまで行つて泊ることが出來さへすればそれでよかつた。私達は乘合馬車にでも乘るやうに、その自動車に乘つた。油とうやの若主人が乘り、伊藤君が乘り、伊藤君の連れが乘り、鷄二が乘り、そこへ私まで割り込んだ時は、狹い車の中は身動きも出來ないほどの
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