學者、故人としては森鴎外漁史、島村抱月君、現存の人としては中村吉藏君などの仕事を結びつけて考へて見ることもおもしろい。たしか加藤朝鳥君も石見生れの人のやうに聞いてゐるが、もしさうだとすれば猶々おもしろい。まだこの外に私などの知らない人もあるかも知れない。
 青原といふ驛を過ぎた。河の流れに膝ほど深く入つて鮎を釣る人も見かけた。津和野に近づけば近づくほど汽車の窓から見て行く水も谿流のさまに變つて來て、川の中には石もあらはれるやうになつた。木曾あたりのことに思ひ比べるとこの邊の谿はそれほど深くない。でも山地深く進んで行くことを思はせた。
 津和野は長州の境に近い小都會である。そこまで行つて、夜汽車で津和野をたち、山口を經て周防の小郡《をごほり》に出れば、私達も最初の豫定通り山陽線を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて歸ることが出來る。津和野に着いたころは、まだそこいらは明るかつた。私達は山陰の旅の終にと思つて小郡行の夜汽車が出るまでの僅かの時間をそこに送つて行かうとした。
 思ひがけない土地の人達が、この私達親子のものを待つてゐてくれた。津和野の町長望月君は私達に見物させる獻立までも既に用意して置いてくれた。同君にいはせると、見せたいところはいろ/\あるが、さうは時間が許さない。先づこの町の全景を見渡すことの出來るやうな稻荷神社の境内へ、土地の誇りとする嘉樂園へ、舊藩の英主龜井公の碑《いしぶみ》の前へ、中學校、小學校の庭へ、それから舊藩の文武の學校で津和野藩の人材が皆養成されたといふ養老館の跡へ。暮れさうで暮れない夏の日も、自動車で驅け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて見る旅の私達には短かつた。
「工業や商業はほかの町に讓るとしましても、教育事業だけは津和野が引受けて見せますよ。」
 望月君はこんな熱心な調子の人だ。
 養老館の跡を訪ねるころは、そろ/\薄暗かつた。こゝは故鴎外漁史の生地と聞くもなつかしい。養老館には學則風のものを書いた、古い額も殘つてゐる。國學、漢學、蘭學、醫學、數學、武術――鴎外漁史の學問にそつくりだ。人の生れて來るのも偶然ではない。構内には郷土館があり、圖書館があり、集産館の設けもあつて、小規模ながら津和野ミユウゼアムといへるのもめづらしく思つた。
 津和野に來て見ると、こゝにはすでに長州の色彩が濃い。石見からするものと、長州
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