も槇の緑葉だの、紅い実を垂れた万両なぞを私に指して見せた。万両の実には白もある。ああいう濃い珠のような光沢は冬季でなければ見られない。あの※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の樹を御覧と云って「冬」がまた私に指して呉れたのを見ると、黒ずんでしっかりとした幹や、細くても強健な姿を失わないあの枝は、まるでゴシック風の建築物に見る感じだ。おまけに冬の日をうけた※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の若葉には言うに言われぬ深いかがやきがあった。
「冬」は私に言った。
「お前は是までそんなに私を見損なって居たのか。今年はお前の小さな娘のところへ土産まで持って来た。あの児の紅い頬辺《ほっぺた》もこの私のこころざしだ。」と。

「貧」が訪ねて来た。
 子供の時分からの馴染のような顔付をした斯の訪問者が、復た忸々《なれ/\》しく私の側へ来た。正直に言うと、この足繁く訪ねて来る客の顔を見る度に、私は「冬」以上の醜さを感じて居た。「お前とは旧い馴染だ」とでも言いたげなこの客に対したばかりでも、私の頭は下ってしまった。とても私には長くこの客を眺めては居られなかった。その私が自分の側へ来たものの顔をよく見て居るうちに、今迄思いもよらなかったような優しい微笑をすら見つけた。私は以前に「冬」に言ったと同じ調子で、この客に尋ねて見ずには居られなかった。
「お前が『貧』か。」
「そういうお前は私を誰だと思う。そんなに長くお前は私を知らずに居たのか。」
と「貧」が答えた。
「めずらしいことだ。今迄私はお前の笑顔というものを見たこともない。お前にそんな笑顔があろうとは、思って見たことすら無い。私はお前が笑わないものだとばかり思って居た。稀にお前に笑われると、私は身が縮むように厭な気がしたものだ。唯、私はお前に忸れたかして、お前が側に居て呉れると、一番安心する。」斯う私が言うと、「貧」は笑って、
「私に忸れてはいけない。もっと私を尊敬してほしい。よく私に清いという言葉をつけて、『清貧』と私を呼んで呉れる人もあるが、ほんとうの私はそんな冷かなものでは無い。私は自分の歩いた足跡に花を咲かせることも出来る。私は自分の住居を宮殿に変えることも出来る。私は一種の幻術者だ。斯う見えても私は世に所謂「富」なぞの考えるよりは、もっと遠い夢を見て居る。」

「老」が訪ねて来た。
 これこそ私が「貧」以上に醜く考えて居たものだ。不思議にも、「老」までが私に微笑んで見せた。私はまた「貧」に尋ねて見たと同じ調子で、
「お前が『老』か。」
と言わずには居られなかった。
 私の側へ来たものの顔をよく見ると、今迄私が胸に描いて居たものは真実の「老」ではなくて、「萎縮」であったことが分って来た。自分の側へ来たものは、もっと光ったものだ。もっと難有味のあるものだ。
 しかし斯の訪問者が私のところへ来るようになってから、まだ日が浅い。私はもっとよく話して見なければ、ほんとうに斯の客のことは分らない。唯、私には「老」の微笑ということが分って来ただけだ。どうかして私はこの客をよく知りたい。そして自分もほんとうに年を取りたいものだと思って居る。

 まだ誰か訊ねて来たような気がする。それが私の家の戸口に佇《たたず》んで居るような気がする。私はそれが「死」であることを感知する。おそらく私が以上の三人の訪問者から自分の先入主となった物の考え方の間違って居たことを教えられたように、「死」もまた思いもよらないことを私に教えるかも知れない。……
[#地から2字上げ](一九一九年一月「開拓者」)



底本:「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」平凡社
   1962(昭和37)年11月20日初版発行
   1963(昭和38)年8月15日再版発行
初出:「開拓者」
   1919(大正8)年1月号
入力:sogo
校正:林 幸雄
2010年3月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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