えて居たものだ。不思議にも、「老」までが私に微笑んで見せた。私はまた「貧」に尋ねて見たと同じ調子で、
「お前が『老』か。」
と言わずには居られなかった。
私の側へ来たものの顔をよく見ると、今迄私が胸に描いて居たものは真実の「老」ではなくて、「萎縮」であったことが分って来た。自分の側へ来たものは、もっと光ったものだ。もっと難有味のあるものだ。
しかし斯の訪問者が私のところへ来るようになってから、まだ日が浅い。私はもっとよく話して見なければ、ほんとうに斯の客のことは分らない。唯、私には「老」の微笑ということが分って来ただけだ。どうかして私はこの客をよく知りたい。そして自分もほんとうに年を取りたいものだと思って居る。
まだ誰か訊ねて来たような気がする。それが私の家の戸口に佇《たたず》んで居るような気がする。私はそれが「死」であることを感知する。おそらく私が以上の三人の訪問者から自分の先入主となった物の考え方の間違って居たことを教えられたように、「死」もまた思いもよらないことを私に教えるかも知れない。……
[#地から2字上げ](一九一九年一月「開拓者」)
底本:「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」平凡社
1962(昭和37)年11月20日初版発行
1963(昭和38)年8月15日再版発行
初出:「開拓者」
1919(大正8)年1月号
入力:sogo
校正:林 幸雄
2010年3月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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