てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかりは、特別な冬景色ではあったけれども、あの灰色な深い静寂なシャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンヌの「冬」の色調こそ彼地の自然にはふさわしいものであった。
 久しぶりで東京の郊外に冬籠りした。冬の日の光が屋内まで輝き満ちるようなことは三年の旅の間なかったことだ。この季節に、底青く開けた空を望み得るということも、めずらしい。私の側へ来てささやいて居たのは、たしかに武蔵野の「冬」だった。
「冬」はそれから毎年のように訪ねて来たが、麻生の方で冬籠りするように成ってからは一層この訪問者を見直すようになった。「冬」で思出す。かつて信濃で逢った「冬」は私に取って一番親しみが深い。毎年五ヵ月の長い間も私は「冬」と一緒に暮らした。けれどもあの山の上では一切のものは皆な潜み隠れてしまって、ついぞ私は「冬」の笑顔というものを見たこともなかった。十一月の上旬といえば早や山々へは初雪が来た。そして暗く寂しい雪空に、日のめを仰ぐことも稀な頃になると浅間のけぶりも隠れて見えなかった。千曲川の流れですら氷に閉された。私の周囲には降りつもる深い溶けない一面の雪があるばかりであった。その雪は私の旧い住居の庭をも埋めた。どうかすると北向の縁側よりも庭の雪の方が高かった。軒に垂れる剣のような氷柱《つらら》の長さは二尺にも三尺にも及んだ。長い寒い夜なぞは凍み裂ける部屋の柱の音を聞きながら、唯もう穴に隠れる虫のようにちいさくなって居た。
 この「冬」が私には先入主になってしまった。私はあの山の上で七度も「冬」を迎えた。私の眼に映る「冬」は唯灰色のものだった。巴里の方で逢った「冬」はそれほど雪深いものではなかったが、でも灰色な色調に於いては信濃の山の上に劣らなかった。私は遠い旅から帰って、久しぶりで自分のところへ訪ねて来て呉れたものの顔を見た時、それが「冬」だとは奈何《どう》しても信じられないくらいに思った。
 遠い旅から帰って三度目の「冬」を迎えた年ほど私も常盤樹の若葉をしみじみとよく見たためしはなかった。今まで私は黄落する霜葉の方に気を取られて冬の初めに見られる常盤樹の新葉にはそれほどの注意も払わずに居た。あの初冬の若葉は一年を通して樹木の世界を見る最も美《うる》わしいものの一つだ。「冬」はその年
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