旨とするつもりです。生活を変えるとは言っても、加藤さんに家へ来てもらって、今までどおりに質素に暮らして行こうというだけのことです。
期日は十一月の三日ということに先方とも打ち合わせました。当日は星が岡の茶寮でも借り受け、先方の親戚二、三人と西丸さん、吉村さんとを招き、簡素な茶室で式を済ましたい考えです。楠《くう》ちゃんにも列席してもらいたいとは思いますが、遠方のことでもあり、それに万事内輪にと思いますから、おまえたち兄妹《きょうだい》の総代として鶏ちゃんに出席してもらうことにします。
とうさんがこの新しい方針を選んで進もうとするのは、いろいろ前途を熟考した上での結果です。とうさんもこのまま老い朽ちてしまいたくないからです。何とか自分の生活を立て直し、適当な内助者を得て、今よりも自然に静かな晩年に達したいと思うからです。
この手紙はおまえばかりでなく、鶏ちゃんにも柳ちゃんにも読んでもらうつもりで書きました。いずれ蓊《おう》ちゃんにもこのことを報告しましょう。一体ならこの手紙はもっと早く書くべきでしたが、どうしてもその機会が見当たらなかったのです。おまえたちを驚かすのを恐れて、きょうまでその勇気が出なかったのです。その点は許してください。
最初この話を加藤大一郎さんにしましたとき、それはとうさんのためにもよかろうと言ってたいへん喜んでくれました。おまえたちもそう思ってくれるならとうさんも幸いに思います。
何事も寛大に考えてください。おまえたちの力になろうとするとうさんの心に変わりはないのですから。
それから、とうさんが生活を変えると言ったら、事あれかしの新聞記者なぞに大袈裟《おおげさ》に書き立てられても迷惑しますから、しばらくこの手紙の内容はおまえたちだけで承知していてください。友人にも世間の人たちにもおりを見てぽつぽつ知らせるつもりです。
きょうは実に書きにくい手紙を書きました。
十月二十三日[#地から6字上げ]父
楠雄[#地から5字上げ](書簡から)
底本:「日本の名随筆31 婚」作品社
1985(昭和60)年5月25日第1刷発行
1986(昭和61)年6月30日第2刷発行
底本の親本:「人生論読本 第三巻 島崎藤村篇」角川書店
1960(昭和35)年9月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2007年7
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