、好いリボンを頂きましたねえ――御土産《おみや》ですか」と看護婦が言った。
「仕舞って置くのよ、仕舞って置くのよ」
 こうお房は繰返していたが、やがて看護婦から貰った花束を握ったまま眠って了った。
 夕方に私は皆川医学士に逢った。お房の病状を尋ねると、今すこし容子《ようす》を見た上でなければ、確めかねるとのことであった。その晩から、私達はかわるがわる子供の傍に居た。
「父さん――父さん――父さんの馬鹿――」
 こう呼ぶ声が私の耳に入った。私は、どうなって行くか分らないような子供の傍に、疲れた自分を見出した。それは病院へ来てから三日目の夜で、宿直の人達も寝沈まったかと思われる頃であった。
「父さん、房ちゃんは最早駄目よ」
 熱の譫語《たわごと》とも聞えなかった。と言って子供の口からこんな言葉が出ようとも思われなかった。私は夢を辿る気がした。
「父さん、房ちゃんは……ねえ……」
 その後が聞きたいと思っていると、パッタリお房の声は絶えた。その晩は私も碌《ろく》に眠らなかった。
 次第にお房はワルく成るように見えた。山で生れて、根が弱い体質の子供で無いから、病に抵抗するだけの力はある筈《はず》だ、とそれを私達は頼みにした。どうかしてこの娘ばかりは助けたく思ったのである。入院して丁度一週間目に成る頃は、私も家のものも子供の傍に附いていた。大久保の方は人に頼んだり、親戚のものに来て泊って貰ったりした。幾晩かの睡眠不足で、皆な疲れた。
 附添の女と私達とは、三人かわるがわる起きて、夜の廊下を通って、看護婦室の先の方まで氷塊《こおり》を砕《か》きに行っては帰って来て、お房の頭を冷した。そして、交代に眠った。疲労《つかれ》と心配とで、私も寝台の後の方に倒れたかと思うと、直《すぐ》に復た眼が覚めた。一晩中、お房は「母さん、母さん」と呼びつづけた。
 まだ夜は明けなかった。私は手拭《てぬぐい》を探して、廊下へ顔を洗いに出た。いくらか清々した気分に成って、引返そうとすると、お房の声は室を泄《も》れて廊下の外まで響き渡っていた。
「母さん――母さん――母さん」
 烈《はげ》しい叫声は私の頭脳《あたま》へ響けた。その焦々《いらいら》した声を聞くと、私は自分まで一緒にどうか成って了うような気がした。
 お房の枕頭《まくらもと》には黒い布を掛けて、光を遮《さえぎ》るようにしてあった。お房は半分夢
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